根と葉と

今春から、インド産の菩提樹(クワ科イチジク属)を育ててます。これは、お寺の境内にある中国産のもの(シナノキ科シナノキ属)とは別種で、ブッダが涅槃に至ったあの菩提樹です。
これは、熱帯性で、非常に生命力が強く、枝を幹から切って水に浸けるだけで、茎から発根してそのまま子株ができるのです。

熱帯性の樹木には、菩提樹のように発根力のあるものや、ガジュマルやベンジャミンなどのように枝から気根が垂れ下がってそのまま大地に根ざすものもあります。※インドボダイジュ→

大地に伸びようとする根の力は、そのまま上に伸びようとする枝葉の力となり、葉に張り巡らされた葉脈はまた、根を生かす。見ていてそういう生命力を感じるんですが、そこに何ともヨーガ的示唆を感じるのです。

ヨーガでは末端ほど大切にします。一般的には、中心部が大切と考えるかも知れませんが、ヨーガ的にはまったく逆なんですね。
足がしっかりと大地を掴み、地に足が着けばこころもからだも安定して上へと伸びていくことができます。 ※ガジュマル→

また、葉が枯れるときは、その縁や先から元気がなくなって茶色く変色していきます。逆に末端が元気であれば、中心は元気だということです。気のエネルギーがどこまで届いているかということが大切なのです。先端に気が届いていれば、その途中には当然気が巡ったことになるからです。

それは、私たちの場合も同じで、さしずめ、幹は私たちの背骨ですね。幹が育つには大地の根と天に伸びた葉からエネルギーを供給されることが大切なように、私たちの中心軸・背骨がしっかりとするには、やはり手足など末端の充実が大切なんです。

ちょっとひと息~ハス沼~

最大で3000年前のものとされる古代蓮。造成工事の途中で偶然、地中から目覚めて発芽したものです。自宅の近くにはその古代蓮をみんなで守って育てているところがあり、今日、はじめて行ってきました。

まだ開花したものは少なかったのですが、凜と立つつぼみとまわりの環境を堪能してきました。「蓮は泥中に生きる」といわれ、世の中の汚れに染まらないで清く生きるものの象徴として、古来より大切にされてきました。

 

 

 

 

訪れた沼は数日来の雨の後でかなりぬかるんでいました。足場も悪く決して開けた場所でもない蓮沼のまわりには、広大な沼に葦が覆い茂っていて、遠くからはウグイスの鳴き声も聞こえてきました。

かえるや亀もいましたが、小さなトンボに出逢えたのはとても嬉しかったです。孵化したばかりなのでしょうか、夏にはオニヤンマかなにかに育っているような感じがしました。

近くにこんなすばらしいところがあるなんて、、、。

みなさんのまわりにも、今まで気づかなかった素晴らしい何かがあるはずです。

足るを知る(知足)

日本には古来より、「足るを知る」という考え方があります。「もったいない」等ともつながるこの考え方は、古代インドからヨーガ、仏教、禅を通してわが国に持ち込まれたものです。

ヨーガの思想でも、知足は、ただ生命を保護するものだけを生活の条件とするもので、手元に獲得した者より余分に獲得しようとしないことと教えています。↘下記註へ

個々にはそのように捉え、実践されている方も多いのですが、かつての無限な右上がりの幻想、妄想から離れられずにいる方も多々見受けられるように思います。そして、社会全体は未だにその幻想にとらわれているように思えてなりません。

欲求不満はそうした、無限に欲しがる渇愛が原因となっていて、人の心を荒らしてゆくのです。お釈迦様もこれを厳しい戒めとして、人が救われるためにはその根源から覆さないといけないと考えたのです。

ムラムラと湧き上がる欲求の炎が吹き消された状態をニルヴァーナ(炎vânaをnirで否定した形)、すなわち涅槃といいます。とても難しいことのように思えますが、究極的な般涅槃(parinirvâna)までの段階にいくつもの現実的な段階の涅槃があります。

私たちのレベルで至れる涅槃があるということです。

日々に起こる心の炎を鎮め、過度な欲求を抑え込むことが、平穏に安穏と生きるために必要なことです。どうしても、欲求、渇愛が消えにくくて困難なときは、目を閉じてゆっくりと息を出してみることです。
心の粘着性も弱まり、今の「ありがたさ」に気づくことができるでしょう。

日本人が長年培った足るを知るの思想。
そして、渇愛の弱められた豊かな人間性をもう一度、味わってみましょう。

渡辺謙さん、ダボス会議スピーチ全文はこちらへ

註) 龍安寺のつくばい:口を囲むように上→右→下→左と読むことで、「吾、唯足を知るのみ」と読めるようにできています。

 

大飯町原子力発電所の再稼働に関して

大飯町原発の再稼働が決まりました。そのことで、FacebookでもTwitterでも多くの意見が飛び交い、反対デモに参加する方も増えています。
私は、最近まで心の内では反対していても、あまり口には出しませんでした。未確定要素が多い中での批判と無責任な発言は好まなかったからです。

こうした中で、再稼働手続きが着々と進む中で、6月12日に母校、大谷大学の宗旨である真宗大谷派が再稼働反対の声明を出しました。真宗大谷派の声明
こうした流れにもかかわらず、本日、愛媛県知事は、時代に逆行するように四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の再稼働の必要性を訴えました。

かつて被った大きな災害もこうして少しずつ忘れられるのでしょうか。再稼働がひとつ認められることによって、他の原発も次々にその方向へと舵を切ることになってはしまいかと、大いに不安を感じます。

電気を大量消費することを前提とした経済最優先の路線を進んでしまうことで、益々人間性の喪失感漂う世の中になるような気がしてなりません。

「自然を怒らせると人は生きていけない。」
早くそのことに目覚めて、自然への畏怖と感謝に満ちた世となることを願う限りです。

行き過ぎた経済活動に踊らされて、何の絶対性もない不完全な自信に基づいた原子力発電所の再稼働に対して、最大限に遺憾の意を表明いたします。
すべての原子力発電所が二度と稼働することない社会を念願するのもです。

平成24年6月19日  日本ヨーガ光麗会 番場裕之

 

 

ゆっくり生活のすすめ

リズムやテンポって大切ですね。これらが狂うとすべてが上手くいかなくなってしまう、そんな感じがします。

人には理想的なリズムがあります。そのリズムの内に生活していると比較的平穏で、落ち着いて日々を送ることができるんですが、私たちのまわりにはそのリズムを崩すものがたくさんあるんです。その代表的なものがふるまいの速さ、がさつさです。便利で手っ取り早い生活は、私たちを速く走らせてしまうのです。

リズムやテンポには、歩く、話す、まばたきや手足の動きなど様々なものがあり、これらが速いと心は雑になりやすいのです。逆にゆっくりすぎるとリズムに乗れずダラダラとしてしまいますが、速くさせるものの方が多い感じがします。

見るからに忙しそうな人を見かけることがありますが、こうした身のこなしなどの所作は心を顕著に表しています。速くがさつな所作が自分をますます忙しくしてしまっているともいえます。

駅や街中で歩いていて、他の人の歩きが遅いと思ったことはありませんか。まわりの人の話し方や食べ方などが、ゆっくりしていると見えたことはないですか。こういった心当たりのある方は、まわりの人よりも速く、心が雑になりやすい状態だといえます。

できるところから、ゆっくり、なめらかな、しっとりとした所作に切り替えてみましょう。例えば、歩く、食べる、話す、まばたきなどです。これらの速さが心をみだす原因です。そして何よりも効果的なのが、呼吸。呼吸がゆっくりテンポなら、その他の所作は速くはなりません。

ちょっとした意識付けで、その独特のスピード感から解放されるはずです。まわりの見え方やまわりからの見られ方がずいぶんと変わるはずです。
ひとつひとつを丁寧にする「ゆっくり生活」を心がけてみましょう。

拙著『心を鍛えるヨーガ』はこちらAmazonからどうぞ

 

「ヨーガ」か「ヨガ」か

「ヨーガ」と「ヨガ」、世間ではどちらかというと後者のほうが通りが良いみたいで、「ヨーガ」というと「洋画?」、「ヨガ?」などとといわれることが多々あります。

このあたりを整理しておこうと思います。
もっとも古く日本に伝わったヨーガは仏教の行法としてのもので、「瑜伽」と音写され、日本での仏教の伝統としての発音は「ユガ」とよみます。
では、中国語ではどうでしょうか? 仏教が伝わった頃の中国語(classical chinese)の音は残っていないので明確なことはいえませんが、現代中国語(北京語)としての「瑜伽」は発音記号で記すと、”yújiā”(ユジャー)か “yúgā”(ユガー)です。英語の場合の”yoga”の発音記号は”jóuga”または”jéuga”と記し、発音は「ヨーガ」に近いものです。
ヒンディー語の場合は、語尾の母音は発音しないために、「ヨーグ」と聞こえます。そして、古典サンスクリットでは、 “o”は長母音なので、「ヨーガ」となります。
つまり、「ヨガ」という音は、言語学的にはなく、日本での一種の俗語形が定型化とたものと言えます。

先日のNHK「公開すこやか長寿」、放送ではカットされていましたが、収録の場では「ヨーガとヨガはどう違うんですか?」という質問が入っていました。その時私は、以上のことをふまえた上で、「正しくはヨーガといいますが同じものです。」と答えさせて頂きました。
ことばは生きていますから、いろいろ変化があるものですから、当然ですね。

※これは、Facebookのノート(2011年9月1日)に掲載したものです。FBをされていない方のために、少し修正して再掲しました。
※「瑜伽」の題字は、真言宗御室派の大僧正・周藤苔仙上人によるものです。

「上体の前後両面と膝裏を伸ばす体位」をYouTubeにアップしました


雄弘ヨーガで重視している「上体の前後両面と膝裏を伸ばす体位」をYouTubeにアップしました。
雄弘ヨーガのスムーズで深い呼吸法にあわせて、胸を開き、背中を伸ばします。最後は、骨盤と背骨の要となる脚の裏側を調えるべく、しっかりと伸ばします。
緊張の「極」と弛緩の「極」がバランス良く含まれていて、全身の活性化に効果的です。
細かい指導は割愛していますので、呼吸の音とからだの動きをよく聞いてください。
YouTube →http://www.youtube.com/watch?v=aBc8ylah3g8

金環日蝕

金環日蝕、見られた方も多いんではないでしょうか。そういう私もしっかりと見てました。
見たというより、滅多にないことなので、ちゃんとした写真を撮りたかったのです。
必死にカメラをいじっていたので、歓声を上げたりはなかったんですが、撮れた写真を見て感動している自分がいることに気がつきました。

感動、大切ですよね。感動、感謝、祈りなどは、私たち人間ができる素晴らしい情操なのです。色々なものに深く感動し続けられる自分でいたいものです。

感動にも「質」があります。深く上質な感動のもととなるものは、大自然の偉大な力が働いた時にこそ起こるものだと、今回の金環日蝕を見て感じました。テレビを見ても、通勤途中の多くの方々、学校に早くから集まって観察会をしていた学童たちが空を見上げ、「オーッ!」とあげる歓声に、大自然の偉大な力はかくも人を幸せにするものなのか、とそのことにまた感動していました。

あまり善いニュースが少ない昨今、見ず知らずの人たちが一緒に感嘆する様は、人が素直な気持ちで喜びや感激を共有できたひとときのように見受けられました。撮影している私の周りにも、普段滅多に話さないご近所さんとの輪ができていて、あたたかい気持ちになれました。

ヨーガは大自然の偉大な力、「いのち」に触れる実践です。ヨーガをとおして、質の高い感動、感謝、祈りを感じ続けられることのありがたさを大切にしたいと再確認させてくれた金環日蝕でした。

心柱

京都生まれの私は、幼い頃からお寺の境内が通学路であったり、遊び場であって、いつも三重塔や五重塔を目にして育ってきました。だからかも知れませんが、仏塔が格好良く見え、それを見ると妙にこころが落ち着いたりするのです。

さて、木造の仏塔である三重塔や五重塔。最も古いものは法隆寺の五重塔で、現在の建物は710年ごろのものだそうです。実に1300年以上、安全に立ち続けているのです。関東大震災の時も阪神大震災の時も、ほとんど損傷はなかったそうです。なにしろ、世界最古の木造建築ですから、すごいものです。

全国には歴史的に500箇所以上の仏塔があったそうですが、そのうち、地震で倒壊したのはほとんどなく、雷火や戦火による焼失がほとんどです。その秘密は、心柱にあるのだそうです。
現在の建築基準法では、必ず、下階から上階まで貫く通し柱が必要なのですが、五重塔には、心柱はあっても通し柱はありません。そのうえ、通し柱は大地の部分の他、建物ものとつながっているのは最上階の相輪の部分だけで、基本的に建物を支えるためのものではないのです。にもかかわらず、塔の天地を貫いていることによって、制振効果があるというのです。

仏塔は各層が独立して作られたものが重ね合わされてできているので、外力がかっても一度に五重すべてにかからず、分散して、スネークダンスのようにうまく揺れを吸収するのだそうです。その揺れのダンパー効果となるのが心柱なのです。
この日本で作り上げられた特別な工法は、いまや、東京スカイツリーにも応用されています。なんと、スカイツリーには直径8メートルの心柱が収まっているのです。

こうした心柱は、私たちのからだでは背骨に該当しています。背骨でいうと、骨盤部分と頸椎うなじ部分で天地を縛るように支えています。骨盤はさらに、大地とつながる足によって、大地-足-骨盤-腰椎-胸椎-頸椎となっていて、そのしなりによってバランスを取っているといえます。

ところで、雄弘ヨーガでは、うなじの実践を特に重要視しています。うなじを引き上げる実践によって、全身が吊り上げるようになり、心柱である背骨にハリを持たせることができるからです。うなじを引き上げれば、プラーナ、アパーナの気がの運行がスムースに行えるだけでなく、首が前に突き出たような猫背姿勢から理想的なS字に戻すことができます。スイカほどの重さのある頭部が背骨上に位置することで、からだの負担を少なくするだけでなく、芯を定めることができます。

うなじの引き上げは、からだのバランスだけでなく、こころの中心軸を築き上げる役割も担っているので、からだが心柱の定まった仏塔に近づくことによって、こころが鎮まって落ち着きをとりもどし、本当の自分を見出すことに一歩近づけるようになるのです。

上腕と肩の実践①をアップしました


雄弘ヨーガの基本的アーサナのひとつ、上腕と肩の実践①をアップしました。雄弘ヨーガのスムーズで深い呼吸法にのっとって、腕を伸ばし脇をしっかりと開くことによって、リンパの流れをはじめ、あらゆる循環を改善し、とくに肩を爽快に軽くするすることができます。
また、しっかりと胸が開くので呼吸を深くして、こころをしずめて安定させることができます。
雄弘ヨーガのテクニックでは、すべてのアーサナでこのように流れるように実践しています。
細かい指導は割愛していますので、呼吸の音とからだの動きをよく聞いてください。
YouTube → http://www.youtube.com/watch?v=FmPcXomdQTQ