日本には古来より、「足るを知る」という考え方があります。「もったいない」等ともつながるこの考え方は、古代インドからヨーガ、仏教、禅を通してわが国に持ち込まれたものです。
ヨーガの思想でも、知足は、ただ生命を保護するものだけを生活の条件とするもので、手元に獲得した者より余分に獲得しようとしないことと教えています。↘下記註へ
個々にはそのように捉え、実践されている方も多いのですが、かつての無限な右上がりの幻想、妄想から離れられずにいる方も多々見受けられるように思います。そして、社会全体は未だにその幻想にとらわれているように思えてなりません。
欲求不満はそうした、無限に欲しがる渇愛が原因となっていて、人の心を荒らしてゆくのです。お釈迦様もこれを厳しい戒めとして、人が救われるためにはその根源から覆さないといけないと考えたのです。
ムラムラと湧き上がる欲求の炎が吹き消された状態をニルヴァーナ(炎vânaをnirで否定した形)、すなわち涅槃といいます。とても難しいことのように思えますが、究極的な般涅槃(parinirvâna)までの段階にいくつもの現実的な段階の涅槃があります。
私たちのレベルで至れる涅槃があるということです。
日々に起こる心の炎を鎮め、過度な欲求を抑え込むことが、平穏に安穏と生きるために必要なことです。どうしても、欲求、渇愛が消えにくくて困難なときは、目を閉じてゆっくりと息を出してみることです。
心の粘着性も弱まり、今の「ありがたさ」に気づくことができるでしょう。
日本人が長年培った足るを知るの思想。
そして、渇愛の弱められた豊かな人間性をもう一度、味わってみましょう。
註) 龍安寺のつくばい:口を囲むように上→右→下→左と読むことで、「吾、唯足を知るのみ」と読めるようにできています。



