聖紐 Upavītaの令和版に取りかかります

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聖紐 Upavītaの令和バージョンの依頼のために、30年ほど前からお世話になっている京都の某法衣店を訪れました。各本山御用達のお札が並びます。
歴代バージョンを眺めつつ、令和バージョンを検討します。
3枚の画像は歴代の聖紐。左の平成5年版(1993)以来、さまざまなバージョンが世に出ました。
右のは私が用いる儀式専用のもの。
令和版の登場が楽しみです。

※聖紐 Upavīta は、インドの伝統の中で、学生期に入る際に師匠から授かる聖なる紐です。その思想的伝統を受け継いで、ヨーガに携わることになった願い、誓願を込めて常に身に着けて実践するようにおすすめしています。

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新年、あけましておめでとうございます。


あけましておめでとうございます。
本年も雄弘ヨーガを宜しく御願い致します。

「道」を示すものにとって、師匠は特に重要な意味を持っています。
師匠が何を見て考え、何を示そうとされていたかということが、その「道」そのものといっても過言ではありません。

雄弘ヨーガでは、先代雄弘師、その師匠・佐保田鶴治祖師という偉大な師匠を頂いています。
師匠方からは亡き後も多くの示唆が、一門の実修者にあまねく降りそそがれていることでしょう。

今年皆様に提示した「淨菩提心」は、佐保田鶴治祖師から下されたお言葉です。

菩提心は、仏教におけるさとりを求める心を示しています。本来は、自分がさとりを求めて仏の智慧を獲得しようとする心のことをいいます。
しかし、自分のみが苦悩からか解放されて完結するものではありません。それは、自分以外のより多くの人々の苦悩をも解放しようとする心でもあるわけです。
そういう意味では、菩提心は、自他共に多くの人々に真の喜びをもたらす心といえるでしょう。

特にヨーガの場合は、自身に働きかける実践が非常に大きな意味を持ちます。その結果、往々にして、自身の安穏を優先させるようになることがあります。
そうした自己中心的な心のはたらきを見極めて、ヨーガによって菩提心を育むようにあってほしいという、師匠からの教えの言葉なのです。

菩提心は、清らかな功徳を養い育てるところから、ゆたかで良質な田地のようだと喩えられます。ヨーガでその田地をゆたかに育ててほしいという願いが込められたものです。

そして、さらに「淨菩提心」と記せば、さらに奥行きのある意味となってきます。そのあたりは、追って、研究会などでお伝えしていくこととしたいと思います。

雄弘ヨーガを実践して、菩提心を育んで師匠の願いに近づける一年となるよう、ともに歩々直入して参りたいと思います。

どうか一年間、宜しく御願いします。  合掌

令和二年庚子元旦

仰臥で脚力を鍛える〜Youtube動画

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かかとを突き出すように空中で屈伸することで膝に負担をかけることなく大腿筋を鍛えることができます〜雄弘ヨーガテクニック〜「ひと呼吸ひと動作」すべてのアクションになめらかな呼吸が伴うのが雄弘ヨーガテクニックの特徴です。
足を床に着けないようにすることがポイントです。 撮影2019/12/11
https://youtu.be/jxv79oqj1-o

立命館大学交友会報で雄弘ヨーガが紹介されました

立命館大学交友会報「りつめい」(No.278, 2019年10月号)で雄弘ヨーガが紹介されました。

紹介してくださったのは、当会公認講師の小野守通さん。
ヨーガがどれだけ大切な存在で、どれほどの恩恵をもたらしたかを書いてれれます。

皆さんも是非読んでみてください。

番場一雄(初代瑜祗雄弘)師の指導動画 1991年1月19日

雄弘ヨーガの創始者、番場一雄(初代瑜祗雄弘)師の指導動画です。独特の説法に惹きつけられます。
これは東京タワーの麓、芝の増上寺での研修会風景です。1991年1月19日(土)、28年前の映像です。
7月27日に開催予定の雄弘ヨーガの実践セミナー(京都・聖護院)では、もっとしっかりとお見せできると思います。

雄弘ヨーガの実践セミナーはこちら

Youtube 動画はこちらをクリック

「弔う」ということ

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「弔う」、今回は人の死についての捉え方についての話です。

皆さんの近親者やお世話になった方、ご友人の方などが亡くなられることもあるかと思います。

その際に「弔う」という態度、姿勢があります。実は最近、お世話になった大学の先生やヨーガの同志が亡くなられることがありました。

亡くなられると、その方と交わした言葉や表情、影響を受けたことなどを様々に思い出すことでしょう。

「弔う」とは、「故人の死を悲しみ痛むこと」ではありますが、また同時に思い続けることでもあります。

事前に訃報を聞き知っていた方は、お別れに向かわれるでしょうし、聞いていても都合が合わなかった場合や、うまく、伝達されない場合もあるかもしれません。

亡くなるとは、非常に寂しく、残念なことです。それを乗り越えて残された我々は生きていくことになります。

たとえ亡くなられても、今までと同様に、側におられるように思い続けることが、追善であり供養であり、弔いに他ならないでしょう。

故人の笑顔や姿や姿勢を様々に心に留めておられると思います。折につけて、思い出し、話題に上げ続けることで、亡くなられた方は皆さまとともに生き続けられることでしょう。

悲しみに打ちひしがれることもあるでしょう。その場合は、亡くなられた方の笑顔、態度、姿勢を思い出して乗り越えていきましょう。

亡くなられた方が生き続けるよう、
残された我々は精進努力することが大切だと最近強く思います。

大阪造幣局 桜の通り抜け〜内的な花見

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今、私は大阪市営地下鉄大阪メトロ谷町線 天満橋駅にいる。

今時分、毎年ここは大混雑になる。大阪造幣局の通り抜け、桜の花見客でごった返すからだ。昼前から夕方遅くまで、人の波に飲み込まれることになる。

今日は、ヨーガの指導に向かう途中だ。花見では、目に見える花を愛で、香りを感じ、春を堪能する。短い寿命の桜の花に、多くの思いを重ねるのだろう。

対してヨーガは、自らの心の花を観察し、からだと対話し、呼吸を味合う、甚深微妙な内的行為だ。内的な花見ともいえるだろうか。

私も花を愛でる花見をすることもあるが、桜を愛でる心と同じかそれ以上のレベルで内的な花見を好んで行う。

まだヨーガにご縁のない方にも、花見と同様かそれ以上に、内的な花見をすることがが如何に楽しく、有益で大切な行為であるかを知ってほしい。

桜の花に向かう人波を見て、そう感じた。

“うっとこ”のヨーガ

IMG_0459うっとこはな、若いお人たちのやらはる元気な激しいのやおまへん。

ほな、柔い事しかせん緩いヨーガか言うたら違いますえ。決して激しいことはしません。ポーズの強要もしまへん。息に合わせてからだを動かすんです。せやけど、厳しいことはします。

作法をちゃんと理解して挑めば、その厳しさが優しさであると気づくはずです。

ひとつひとつは地味やけど、所作すべてを通す哲学がありますのや。

うっとこは、70歳以上は当たり前、80歳、90歳の人もぎょうさんいたはります。70歳ならまだまだ若手の領域や。

ほなお年をめしたかたしかいいひんかっちゅうたら、そんなことおまへん。中学生も高校生も大学生かていはりますえ。

だからあんさんも、臆さんと安心してお越しなはれ。ほんで、一緒にヨーガやりましょ。みんないきいきしたはりますえ。

あっ、京都だけやありませんえ。
興味をお持ちの方、教室情報を下のリンクから見られますえ。
雄弘ヨーガ教室情報

※写真は雄弘ヨーガなにわ研修会です。

「吸って、吐いての相伝」

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雄弘ヨーガの同志の佐藤さんから頂きました。五木寛之さんの連載エッセイ「新・地図のない旅」より「吸って、吐いての相伝」。

岡田式静坐法による呼吸法が話の中心だが、昨今、様々な分野で呼吸法はかなり盛んに扱われているが、その多くが「呼主吸従」の思想に基づく中国的呼吸法のみが語られる。

しかるに、生物本来の生理呼吸もブッダの呼吸法もヨーガの呼吸法も、呼吸ならぬ吸呼、すなわち、入息ー出息を推奨する。「吸ってー吐いて」なのである。

ヨーガのプラーナーヤーマ “prāṇāyāma”は、その系譜に従って呼吸を活性、コントロールし、そのまま三昧へと導くものである。

仏教では呼吸の活性こそ積極的には行わないが、観察し心を静め三昧へと導く「入出息念」すなわち、アーナーパーナ・サティ “ānāpānasati” を説いている。これが、現在のマインドフルネスの原点となった。