守られてこその健康~息災~

雄弘ヨーガの仲間には、最近ヨーガを始められた方もおられますが、10年、20年の方から30年、40年続けられている方もおられます。40年経つということは、30才から始められても既に70才。本当にすばらしいことです。中には、80才を越えてから始められる方もおられます。

こうして、ヨーガを続けていると、「あ~っ、ヨーガを続けていて良かった」と感じることが何度かあるものです。続けているからこその実感ですね。これが「守られている」ということなのです。
このことを「息災」といいます。仏教用語ですが、大いなる力に庇護されて健康でいられることを意味します。

かつて先代がこのままだと「1億総半健康人」になってしまうと嘆いていました。
病気ではないものの、健康という実感が持てない、イキイキ感がない、という方があまりにも多いというのです。

世界保健機構(WHO)によると健康とは、
 ”Health is a state of compleate physical, mental and social well-being,  
 not merely absence of disease or infirmity.”

「健康とは、身体的、精神的、社会的な完全な善い在り方の状態であって、単に疾病や虚弱がないことではない。」

つまり、健康と不健康の境目は、疾病の有無だけでなく、健康観の有無が重要なポイントになっているともいえます。そこには、価値観や信仰心なども含まれるでしょうし、立ち居振る舞いにもそれがにじみ出ているような社会的にも健全であることも必要ですね。
そして、これらのすべてが心の充実と深い関わりがあります。
「健」はからだの健やかさを、「康」はこころのゆたかさを表していますから、当然といえば当然ですね。

ヨーガが本当の意味で人々の根底に位置付けば、多くの方が「あ~っ、ヨーガを続けていて良かった」と思い、「守られている」と感じることが増えるでしょうし、健康観に満ちた一億総健康人の社会ができあがると思っています。

自分が勝手に健康なのではなく、大いなる力に守られているからこその健康。この謙虚さが健康の秘訣なのかも知れません。

雄弘ヨーガ指導者養成集中セミナー 第5期生募集[東京、名古屋、京都・大阪]

雄弘ヨーガの公認指導者を養成する「指導者養成集中セミナー」の受講者を募集します。1期6回(合計36時間)で参加者全員の合格を目指します。雄弘ヨーガを人生の根底に位置づけて、命がけでやり抜く気概のある方をお待ちしています。
日程:2012年7月~12月  定員:各支部毎に2~3名  申込み締切:5月31日
詳細日程など詳しくは、info@yoga-korei.orgまでご相談ください。
各支部とも定員に達し次第〆切とさせていただきます。
東京本部は2名の申込がありましたので、東京はこれで〆切とさせていただきます。

無罣礙~身体と頭を空っぽに [3] 最終回

2012年2月29日以来掲載してきました、無罣礙~身体と頭を空っぽに~の第3弾(最終回)をお送りします。

1991年5月4日の先代雄弘師の講話記録を文字に起こしたものの一部です。
※原文のままでは分かりにくい部分のみ、若干修正しまた。

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だから、頭を空っぽにしてね「無罣礙」ですね、えーっ、そうして、からだの障り、からだの障りっちゅうのは、まあいろんなからだに障りがあってね、人間のからだというのはね、もう、だんだんと汚れていってね、狂ってきて、いろんな病気が出やすくなってきてますから、そういう障りをね、やっぱり毎日取っていくんですわな。障りを取っていく。で、こんなもん、休日に取ろうと思っても取れないんですよ、そんな安易な考え方いかんですわな。毎日、こころとからだの障りを取る。

アインシュタインさんはね、頭の障りを取れって、そしたら発見できるってね。私たちはそんなんでは満足しない。もちろん、頭の中にこびりついておる、からだもね。まあ、これ、食べ物でも一緒ですわな。もう、うーーんと、お腹空かしておくとね、ものすごく栄養になるわな。で、からだが全身全霊でそれに働きます。分解して栄養にして、、、ね。

ところがもーっ、いつも、飽食なっておってね、もう、からだが鈍くなっておりますと、もうどれが本当の栄養でどれが無駄な栄養かわからへん。もう適当に選択しとるわけや。いつも適当には入ってますからね。これダメなんです。もっている力を全部発揮することが出来ないね。むかし、断食すると、そういう力が発揮できるとかいいますけど、断食しますとね、また、いろんな障りが出てくるんですよ。

えーっ、ああいうことっていうのはね、えーっ、これも一緒、あのーっ、時々やってもだめなんですわな。毎日、その障りを除いとかんと。そうするとね、「無罣礙」という状況がでてくるんです。その「無罣礙」という状況がだんだん清まってくると、この観音さんとかね阿弥陀さんがね、出てくるんです。わかりますか?

つまり、その人のなかから、そういう力が出てくるんですね。それを、智慧というたんです。そうするとね、あのー、非常に人間というのは楽になるんです。えーっ、まっ、これにすがっておれば大丈夫だという、信念が出てくるんですな。そしたらもう、あんまりしょうもないことやらなくなるんです。無駄なことやらなくなる。

無駄なことやらないから、ものすごく能率が良くなる。仕事がどんどんできる、ね。そして、えーっ、充実していくわけですな、非常に短時間でもって、物事が早くできるね。だから、ものを考えたりまとめたりするとっちゅうのはね、ヨーガをやっとったら、ものすごく早い。サッサッサッサーって纏まってしまうね。それをまあ、それを具体的に書いたりするのは時間かかりますけどね、こういうことサッと頭の中で纏まったりするのはね、えーっ、この「無罣礙」になっているからすぐできる。

からだもそうですね。サッと全身が調和とれておってね、からだに障りがなくなっているね。それで、からだとこころも障りがなくなって、それはもう一つになってね、障りないと一つになるとね、そこにひとつの、観音力とかね、大きなその人を守護する力が出てきます。わかりますか? これがね、ヨーガの考え方なんですわ。だからひとつ、えーまあ、休日も結構やけど、毎日そういう休日を取るのが一番よろしいですね。毎日。

えーっ、そうすると我々の生命も人生もですね、「無罣礙」でなくっやいけない。「罣礙」ばっかりなんです。もう日頃のこと障りばっかりや。こころに引っかかることばっかりや、からだに引っかかることばっかりでね、それがいっつも私たちを引っ張って悩まされておるんだから、それを「無罣礙」にしていく。これが我々の「ヨーガはからだで唱える真言である」という考え方なんです。分かりましたか?

だからそれをひとつ毎日、そういう気持ちで実践されますとね、いのちが生き生きとね、えーっ、いつもこう水生けされている花のようにね、生き生きして、素晴らしい、みずみずしいようになって、こういう気持ちがからだとこころにありますとね、気持ちが明るくなって、人生が前向きにいられるという、こういう素晴らしい効果があるんです。 -終-

                       

ヨーガは誰のもの?

これは、2001年12月24-25日にインド・ムンバイで国際交流を行ったヨーガ団体、Shri Ambika Yoga Kutir のFacebookページへの昨日の投稿を意訳したものです。

ヨーガとは何なんでしょうか。
ヨーガとはどういう人がするものなのでしょうか。
ヨーガは、特別な人たちのものではなく、どんな人にでもできるものなのです。

赤ちゃんの頃には、だれもがシンプルなヨーガのような姿勢をとっているのを知っていますか。
ヨーガは単なる曲芸ではありません。それはからだ、こころ、そして、たましいを結びつける統合的(ホリスティック)なアプローチなのです。
ヨーガとアーサナなどの実践は、あなたの内面に調和のとれたバランスをもたらすのにたいへん有益です。
幸せとなる基準は、決してからだだけの健康だけではなく、健全なこころとたましいなどによる、総合的なものです。
ヨーガは、これらのすべてに働きかけてくれるのです。

煩悩即菩提

煩悩即菩提、先代が好んでよく使ったことばです。
この相反するふたつが「即」の関係であるということ。

今回のインドで感じたことのひとつなんですが、時期的なこともあってたいへん暑い時期でした。
お昼も過ぎると、3時をを回るまでは全員休業期、ほとんど外を出歩かなくなります。
それほど太陽の力が強いんです。

インドは暑い国です。いえ、気温もそうなんですけど、それと同等以上に人々の気持ちが熱いんです。それも相当に…
ヴァラナシの友人、インド人ヨーギーなんですが、再会した時の歓迎ぶりは、今までに経験したことのない、特別なエネルギーを感じました。10年ぶりに再会した、ブッダガヤのホテルの支配人の場合も同様でした。
世界中からブッダガヤ大菩提寺に集まる信者の方たち、この信仰心にも相当に熱いものを感じます。
逆にいうとそれだけ、煩悩も強いともいえるのですが、それがとても人間的に思えたのです。

たとえ煩悩が強くても、それを乗り越えようとするエネルギーも相当に強い。
まさに、煩悩即菩提なんですね。
清だけでは成り立たない、濁があるから清となれる、清へのエネルギーとなる、そういう、相反する2極性が即の関係でいる。

これは、ヨーガには濁である煩悩や何かを乗り越えようとする、成し遂げさせる力が半端なく強いということを意味します。

広範囲の周りの人の幸せを願う大願、家族規模の幸せを願う中願、最後に自分自身の願いを託した小願、これらをはっきりと区分して誓願してヨーガを実践すれば、必ず成就する!
逆にいうと、ヨーガには、熱く燃えるような願いが必要不可欠といえるのです。

※色紙は歴史学の大家、京都大学名誉教授の上田正昭先 生が先代にくだされたものです。上田先生は先代の高校時代の恩師。
今は、私が出講する京都アスニーの理事長もされています。

無罣礙~身体と頭を空っぽに [ 2 ]

2012年2月29日にアップした、無罣礙~身体と頭を空っぽに~の第2弾をお送りします。
時期的にはほぼ今と同じ時期、重ねて読んでいただければと思います。

1991年5月4日の先代雄弘師の講話記録を文字に起こしたものの一部です。
※原文のままでは分かりにくい部分がありましたので、
 その箇所のみ若干修正しまた。その他は、記録テープのままにしておきます。

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ちょうどいま、5月の終わり、、、4月の終わりずっと、12月まであるそうなんですけどね、
NHKでアインシュタインのね、「よみの国?」とかいうんですか、なんかそんなんでやってましたね。
アインシュタイン、あれ、面白いですね、見てください。

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インドも日本も同じやん!

インド、久しぶりの訪問で、当地の人びとのエネルギッシュなさまをよくよく感じてきました。

「やはりインドの人は違うな、インドはすごいな」と思いつつも、
冷静にインド様式を見て帰ってきました。
帰国後まもなく、増上寺の御忌法要に参加させていただいて、
「インドも日本も同じやん!」とあらためて思ったんです。

確かに、関わる人たちの顔立ちも肌の色もことば、
作法や様式、風土など、何もかもが違うんですが、
何かしら、人の心の底にあるものに違いはないと確信できました。
何もかも違うのに、おなじ波動を感じたのです。

ブッダガヤ大菩提寺に集まる人びとと御忌法要に集う人たち。
歴史的意味などは比べようもありませんが、
「ほとけの御法」に向けられるエネルギーに違はいなく、

人びとの祈りの力に感服してしまいました。

日本では、その象徴の桜が花盛り。

信心に優るものはないと実感しつつ、
インドが今まで以上に身近に感じられるようになりました。

インド・震災復興祈願法要を終えて

3月24日に出発したインド・震災復興祈願法要、本日(3月31日)帰国しました。参加者全員が元気に成田に到着できて、本当に嬉しく、ありがたい限りです。

私にとっては初めて主催するインド研修で、当初はまったく自信がないままの出発でした。
長年御世話いただいているカイラスの落合さんにいていただけるので、不安はありませんでしたが、何事も無く帰国することが、それだけで、私にとっては、大成功でした。
しかし、実際は、数多くの成果、功徳をもたらすことができました。

そもそもの目的は、震災復興祈願法要です。私が20日に石巻、女川町、南三陸町を訪れて受けた衝撃を、みなさんと共有できる法要が営めたことに、こころより感謝しています。

ラージギルの竹林精舎、妙法寺さん、霊鷲山、ブッダガヤの大塔や金剛宝座での法要、そして、ベナレスでの沐浴やガーヤトリーマントラの奉納など、数多くの機会に読誦法要ができ、みなさんと復興祈願の請願を共有することができました。

また、大きな成果のひとつが、他支部間交流です。交流ができたことには、たいへん満足しています。最近は支部単位の活動が中心となっていたなかで、見ず知らずの雄弘ヨーガ同志のみなさんが、日々つながりを深めているのを見ていて、こころから、微笑ましく思いました。

そして、インドを体験する、という、日本では味わえないものを感じることができました。インド旅行だけでなく、インドの大気、大地を実感し、満天の星空を見上げたシャバ・アーサナなど、インドの自然のなかでのヨーガは、本当に感銘深いものでした。
ナーランダーの大樹の下でのヨーガもすがすがしく、他では体験できないすばらしいものを頂きました。

そして、雄弘ヨーガの歴史を体感するという点での、ソンカーさんとの交流も、以前からのつながりを再確認できました。実際、あの熱烈歓迎は、全く予想だにしていなかったので、驚いたと同時に、たいへんありがたいものでした。手配して頂いたカンナさん、シャンカルさんにはお礼のことばもありません。遥かインドに来て、待っていてくれる方がいるというのは、ものすごい事だと思います。

昨日、12年前に国際交流をした、ムンバイのアンビカー道場の方からメールがあり、私がインドに来ていることを知って、是非とも会いたいということでした。そういって頂けるのも、有難い限りです。次回、いつになるかはわかりませんが、是非次は、ムンバイのアンビカーを訪れたいと思います。また皆さんと一緒できるのを、楽しみにしています。

また、一週間寝食を共にした事で、普段では見られないみなさんの表情がうかがえて、また一歩、みなさんに近付けた心地です。

その他に、26日に訪れた妙法寺さんですが、そこは我々が読誦教典作成に尽力いただいた、故ナレーシ・マントリ博士の御縁強いところですし、ブッダガヤのスジャータホテルのサンジャイさんとも久しぶりに対面できたり、奈良の般若心経国際法会のパンフレットが置いてあったり、御世話になったシャンカルさんが、私の勤務する東洋大学とご縁があったりなど、さまざまな繋がりをあちこちで感じました。

今回の旅は、長年ご縁ある落合さんのおかげが非常に大きいものです。心憎い気くばりが、みなさんを楽しませてくれたと思います。また、当初予定されていなかった池田さんが同行していただけた事により、みなさんの攪拌役をしていただきましたし、ケアもしていただき、こころより感謝しています。

また、このメンバー、さらには新たなメンバーを加えて、集える日を楽しみにしたいと思います。

どうもありがとうございました。

追伸
今回の法要の様子は、YouTubeにアップしてあります。
yogiyuko で検索していただくか、Facebookの私のページにつなげれば、見られるようになっていますので、是非ご覧下さい。
YouTube→http://www.youtube.com/user/Yogiyuko?feature=guide

石巻で『般若心経』を梵語読誦

23日から31日までの旅程で旅立つ、「震災復興祈願インド法要研修」。それに先駆けて宮城県石巻へ行ってきました。仕事とは関わりなく、自分の思いだけで行ってきました。
現地を知らずインド法要でもないなと、出発前の慌ただしい時期でしたが行けてよかったです。やはり、映像と肉眼とでは印象の強さが全く違いました。
途中、福島駅付近で人目をはばかりながら鞄内で線量を計測すると、0.27マイクロシーベルト‼。自宅の倍以上でした。周りは普通に見えても、見えない脅威が迫っているのを実感しました。
訪問地は、石巻⇒女川町⇒大川小学校⇒南三陸町など、津波被害甚大な地域です。マンション大のガレキや水没車の山、倒れて転がっているビルや機関車など、ありえない非現実的な「現実」がそこにはありました。
そこここで、心経の読誦と献花をさせていただきました。ここでの印象を胸に、インドで復興祈願法要をのぞみたいと思います。
石巻での読誦風景はこちらへ(Youtube)