光〜燈明〜

幼い頃からよく参拝に出かけるお寺があります。あまり観光地化されていないので、紅葉シーズン以外は、境内にも人はまばらで、見渡す境内、誰もいないことも多々あります。本堂に入ると薄暗く、広い畳間の正面に蠟燭の炎とそれに照らされる阿弥陀如来だけが目に入ります。大変静かで、自分自身と向き合うのには最高の環境です。

二年前に訪れたバチカン大聖堂も先日参拝した知恩院でも同じものを感じました。いずれの場所でも、こういう場でヨーガをできれば最高だろうと思ってしまいます。

人は本能的に光を求める習性があるといいます。物理的光だけでなく、心で感じる光を求めているのです。本堂で見た燈明は微かな光でありながら、こころの琴線を震わすには充分すぎる、そしてもっとも効果的な手段だったのかもしれません。

大震災以降、東日本では広く節電が推奨されました。今でも名残がありますが、東京駅と名古屋や新大阪駅との間には、構内の明るさにはっきりとした違いがあります。その結果、「陰影」が再認識され、暗さに対する日本人の意識が再び覚醒されました。

明るすぎると、本来見られるべきものが見えず、見なくていいものに意識が行きがちです。
照明を落とし、蛍光灯から弱い白熱灯や蠟燭に切り替え、心を鎮める。

現代にはそういう心の一隅を照らす光〜燈明〜が必要なようです。

初期化(reprogram)

「あの頃に戻れれば」「今の自分をリセットしたい」と思うこと、ありません?
大人な私たちなら、一度くらい思ったことがあるはずです。

だれにも無垢な子供の頃がありました。その頃は、いろいろな無限の可能性を秘めていました。でも、時を経て、積み重ねられた時間が今の「私」をつくりだし、人生が方向づけされていきます。

途中で大胆な路線変更したりすることは、まわりから大きな波が起こらないかぎり、なかなか難しいものです。

最近、話題になることが多いiPS細胞。
山中教授のノーベル賞受賞のテーマは細胞の初期化(reprogram)です。
たった一個の受精卵が細胞分化を経て、からだの部分にふさわしい細胞に変わって行くのですが、分化をもとに戻す=初期化すれば、何にでも変わり得る細胞を創り出せるというのです。

成熟した細胞を再プログラミングすることができるというのが、ノーベル賞受賞の理由だそうです。それは、タイムマシンのように、時間が経った細胞を元に戻す錬金術なのです。

細胞分化を経るように、私たちも方向付けられ、人生も固定化されていきます。でももし、iPS細胞のようにそれを初期化できれば、幾つになっても無限の可能性を秘めた未来が待っているに違いありません。

実はヨーガ哲学の原点はそこにあるのです。ヨーガの目的は、表層的なこころだけでなく、魂や人格そのものの初期化、無垢な自分、本当の自分(真我-プルシャ-)に目覚めることにあったのです。

実際に一緒にヨーガをやっている仲間を見ると、みなさん、本当に若々しい!50才でヨーガを始めて10年、60才になられても、10年前より明らかに若々しいのです。
それに、固まって偏狭になっていた視野が拡大され、あのころはまったく考えもつかない、今の自分があります。

これは凄いことです。自身がタイムマシンを具現化するようなものですから、、、。

ヨーガは初期化を引き起こす錬金術なのです。

高野山に向かう〜移動の時間〜

10月の土日はヨーガの集まりが多い。先週は京都・嵐山と名古屋、今週末は高野山、来週は大阪、再来週は鹿児島と博多と目白押しだ。今月は、新幹線も長距離ばかり12回も乗る。

よくそんなに動いていて大丈夫ですか?と問われることがある。いつも「全然大丈夫ですよ」と答えている。これはやせ我慢しているわけではないのだ。

確かに移動には時間がかかる。きょうの高野山にはゆうに6時間を超える。確かにくたびれはする。でも疲労とは随分と中身が異なるのだ。

それには幾つかの理由がある。埼玉に住まう私は、まず、高崎線で上野まで向かう。この路線は、混雑がはげしく、上野まではすし詰めの立ちっぱなしが普通だ。そんな中でも嬉しいことがあるのだ。電車(埼玉で育った中高年お方は汽車という。その昔はSL路線だったらしい)が東京との県境にさしかかる際、荒川を渡るのだが、その眺望が素晴らしいのだ。たっぷりと水を湛えたさまは狭い都会とは対象的に雄大だ。天気がよければ西に富士山も拝むことができる。

遠くを眺める、こころの視野を広くする事を大事と思う私にとって、遠望視ができるのはとてもあり難いからだ。東海道新幹線に乗ると、右には再度富士山を間近に見ることができる。さらには遠州灘や浜名湖も目を楽しませ、心を豊かにしてくれる。伊吹山系、琵琶湖、東寺五重塔もある。今日は霊気に満ちた高野山に登ることができる。

そう、移動は私にとって、仕事の時間でもあるが、こころに栄養補給を行う楽しみの時間でもあるのだ。時間をかけて移動したのちは、仲間との充実したヨーガ三昧のひと時が待っている。ヨーガの後はさらにヨーガ談義と、また有意義なひと時となる。

こう考えると、無駄な時間などないのではないだろうか。同じ時間、捉え方はさまざまだが、できれば、こころのゆとりを作り出すことも、積極的に挑んでみては如何だろうか。

今も富士山を眺めながらこの原稿を書いている。

空は広かった

関東に移り住んで20年以上、人生の半分をこえました。
如意ヶ嶽、鴨川、数多くの寺院に囲まれたのが、ふるさと、京都です。

東京に出てきた当初は、いつも接していた山、川はなく、寺院もとても少なく、ショックを受けたのを今でも覚えています。
その後、なぜか埼玉に住まうようになって、少しずつ関東の良さが分かるようになってきました。

一番嬉しいのは、なによりも空が広いことです。
少し足を伸ばせば、巨大な荒川や利根川も手の届く範囲にある、、、。いつも身近にある広大な空は、こころを解放し、全身の緊張を解いてくれる何かしら不思議な力を感じます。

子供の頃、父(先代雄弘師)によく星を見せてもらいました。月、木星、オリオン座の星雲など、様々な天体観測を教えてもらいました。土星の輪が見えた時は感激でした。

そんな経験からでしょうか、星空に限らず空を眺めると、偉大なものに包まれた感じというか、自分の小ささというか、自分の意識も宇宙大に拡張していく特別な体験をすることができます。

変性意識ともいわれるこういう状態は、瞑想時の意識状態で、格好良くいうと禅定三昧にあるといえます。

それが実感できると、ビルの谷間から見上げる狭い空でも同じことが感じられるようになります。
ビルが立ち並ぶ中でも、空を感じたり、壁面を照らす陽の光に太陽のエネルギーを感じられるのです。

以前のブログで「遠望視」に触れましたが、近視眼的にならずに遠くを眺める。こころの健康には、とても大切なことです。

秋は空が澄んで眺めるのに最適な時期です。星もたくさん見えます。
こころが窮屈になった時、なにか行き詰まった時に直接的に何かを期待せずに、唯々、空を見上げてください。

きっと、普段の意識では見えなかった何かに気付くでしょう。

『季刊SORA』 2012年秋号 10月発売!
空と天気についての季刊誌。
以前、私の本を手がけて下さった元講談社の編集者の方がつくってられます。

手の甲で合掌する YouTubeにアップしました。

雄弘ヨーガ初期の頃に実践されていた、簡易ヨーガ系のアーサナです。それを現在の雄弘ヨーガの呼吸の運行に合わせて再構築しました。
呼吸の流れるような運行に合わせて、足先から手先に至るまでの全身的なハリを大切にして行います。
呼吸の音を聞きながら実践してみて下さい。

YouTube→手の甲で合掌する

声の力

声には力があります。
声には古来、魂が宿るとされてきました。
お寺のお堂に響く読経、教会での讃歌にはある種共通の波動があります。

こうした声の力は、合唱などの声楽もそのひとつですが、
もっと日常的なところでも感じることができます。
わたしがそれを感じるのは、いつも食材を買いに行く市場です。

私が子供の頃はスーパーは少なく、いわゆる市場がその町の台所となっていました。
いろいろなお店が一所に集ってお店を出しているところです。
食材系の八百屋、魚屋などは大きなかけ声が特徴でした。
「へえ~、ぃらっしゃ~い」など大きな声が飛び交っているとすごく元気を感じたものです。

わたしは、近所の市場で、時々そのかけ声を聴いて、いまでも嬉しく思っています。
食の原点を扱うところで、食とは別の力を感じています。

ところで、雄弘ヨーガには、特徴的な声の実践があります。

ひとつは、研修前に称える教典。
特異な宗教的な意味合いはまったく含んでいませんが、
サンスクリットでの読誦には気の力、生命力を感じます。
瞑想のあとに唱和するマントラ。
お腹の底から絞り出すマントラは、お腹の力、丹田の力があり、
もっと底深いところから湧き上がる、魂の力そのもののように感じます。
絞り出すことによって気の元、元気が与えられる感じがします。

もうひとつは、指導者が修得する雄弘ヨーガの号令法。
号令によって、生徒さんはひっぱられ、
ひとりの実践ではできない領域に達することができます。

お寺やもっと日常的な市場などで声の力に触れるのも良し、
みずから魂の声を絞り出すのも良し。

声の力を信じてみませんか。

「国際法会」→YouTubeにリンクできます。
上記、「国際法会」は2010年8月6日(金)〜8日(日)に平城遷都1300年奉祝イベントとして行われたものです。0:46秒あたりから約10秒間、私のサンスクリットによる読誦が見られます。

ユニバーサルデザイン

ユニバーサルデザインて知ってますか?
すべての人のためのデザインを意味し、年齢や障害の有無などにかかわらず、最初からできるだけ多くの人が利用可能であるようにデザインすることをいいます。直訳すると万人向け設計。普遍性が高いともいえますね。

能力あるいは障害のレベルにかかわらず、最大限可能な限り、すべての人々に利用しやすい環境と製品のデザインのことをいいます。
ユニバーサルデザインには、7箇条の原則があります。
・誰にでも公平に利用できること
・使う上で自由度が高いこと
・使い方が簡単ですぐわかること
・必要な情報がすぐに理解できること
・うっかりミスや危険につながらないデザインであること
・無理な姿勢をとることなく,少ない力でも楽に使用できること
・アクセスしやすいスペースと大きさを確保すること

雄弘ヨーガは数十年来、この普遍性を大切に育まれてきました。
呼吸法を行法の基本に据えることから、万人に対応できる普遍的な体系となっています。
男女の差はもとより、初心者から熟達者、若年者、高齢者、健常者、障害の有無を越えることがその理念のひとつ。

雄弘ヨーガは、ヨーガの伝統を大切にしながらユニヴァーサル・デザイン化したものとも言えます。
この図版は、その理念をイメージした「試作1」です。

腰が痛い !?

腰が痛い!
そういう方は多いんじゃないでしょうか。

ギクッ!と痛めるいわゆるぎっくり腰、常に腰が重い、疲れると腰にくる…いろいろなタイプがあると思います。単に腰が痛いといっても原因は千差万別。でも、内臓疾患が原因となるような重篤な場合を除いて、多いのはいわゆる筋肉疲労性のもの。押したり、叩いたりして楽になる場合の多くがこれに当たります。

しかし、押してたり,叩いたり、薬を塗るだけでは、一時的に楽にはなっても、なかなか根治しにくいもの。やはり、痛みの根源から解決しないと良くはなりません。

腰痛の多くの場合、腰自体に原因がある場合よりも、他の部分の影響によって腰が痛くなる場合が多いです。とくに大きな影響を与えているのが脚です。

腰痛の原因が脚?と思われるでしょうが、十中八九間違いありません。

私たちは、立ったり歩いたり、常に脚を酷使しています。アキレス腱、ふくらはぎ、膝の裏、大腿部の裏側は常に緊張しているにもかかわらず、ほとんどケアしていないからです。そして、その緊張が腰に伝わると、血行も悪くなり、腰をキューッと強張らせてしまうのです。

このような腰痛の他に、坐骨神経痛や椎間板ヘルニアが原因で腰を怖がらせた場合でも、次の「膝裏と腰を伸ばす」この体位、これが一番簡単でそして、かなり効果的です。やれば、てきめん、痛みがスーッと減るのを実感できます。脚裏、腰の部分の筋肉が萎縮しているから、伸ばしてやるのが一番効果的なのです。

脚裏と腰の緊張と強張りを除くのは、写真のように、ゆっくりと鼻から息を出しながら、呼吸にあわせて上体を垂らすだけ。上体の重さに引っ張られて、脚裏も腰もスーッと伸びていくのがわかるはずです。

ポイントは肩、首、腕の力を完全に抜いくことと、膝を曲げないようにして踵に体重をかけること。たったこれだけの実践で上体を元に戻した時に、ジワ~ッとした開放感と暖かさを足腰に覚えるはずです。

是非、試してみてください。

※ゆっくりと息を出しながら、5~10呼吸行うと、徐々に伸びていくのが分かります。
※足腰に疲れを感じたら、いつでもやってください。
ぎっくり腰について
ぎっくり腰は、腰の深い層の筋肉の捻挫です。その場合は、あり動かさず、安静にして炎症を鎮めることが大切です。
ぎっくり腰の原因の多くは、ひざ裏の恐がりがきつく伸びにくいために、腰部のみに過度の負担がかかったことが原因です。
普段からこの実践をしておくことで、ぎっくり腰予防になります。

純日本的な呼吸観とは、、、

去年はインド的調気法と中国的「呼吸法」についての比較研究をした※。
今年は、純日本的な呼吸観を調べている。
これは、とてつもなく困難なテーマだ。

ポイントになるのは、中国伝統の土着的宗教である道教。
仏教と前後して日本に伝えられた道教は深く日本に根ざしてしまった。
私たちが普段使っていることば、仏教由来のものも結構多いが、道教由来のものもかなり多い。我々が大切にしている呼吸法、その「呼吸」という言葉がまさしく道教の用語なのだ。

そして、仏教にも漢訳される過程で大いに道教的要素が入り込んでしまった。
というより、道教的観念がなければ、仏教は中国には入れなかっただろう。
われわれが、仏教だと思っているひとつひとつに道教が染みこんでいる。
だから、大陸から伝えられたものは、ほとんど道教的だともいえる。

でも、インド的な呼吸観と中国の道教的な呼吸観はまったく違う。
インドは魂の解放、つまり解脱を目的とするのに対して、中国式は健康と長生。

呼吸観やその目的はまったく違うのだが、技術的にみれば、日本で伝統的にされてきた呼吸法はほとんど道教的呼吸法だ。禅で教える呼吸法も道教的要素が強い。

こんななかで、果たして、何が日本的といえるのか。

なにせ、日本で文化的躍進が見られるのは、大陸との交渉後、仏教や道教が入ってから後のことなのだ。

最古層の文献『日本書紀』や『万葉集』にもすでに道教の影響が見られるくらいだから、それ以前の、日本本来の呼吸観を見出すのは不可能に近いことかも知れない。

※本日、論文掲載(PDF) にアップしました。どうぞご覧下さい。
「インド的調気法と中国的「呼吸法」について」(『東洋学研究』第49号 2012年3月)
「日本におけるヨーガの受容-呼吸観を中心に-」(東洋大学東洋学研究所研究成果報告書2011年度)

偉大なる力に触れる

今日で8月も終わり、明日から9月です。
子供の頃は明日から学校がはじまり、宿題に追われていたのを思いだします。

8月はいろいろな楽しい催しものがあります。お盆は京都五山の送り火があります。
昔は送り火の時には、屋台がたくさん出てお祭りになっていました。

そして、地蔵盆。多くの地域では、あまり聞き慣れないものかも知れません。
京都には地域ごとにお地蔵さんがあって、地蔵盆の時には、お地蔵さんを掃除して、献花して、みんなでお祭りしているのです。

子供心に記憶に残っているのは、数珠廻し(YouTubeにリンクします)。
親玉が回ってくると額に近づけて礼拝します。

子供の頃の一番の目的は、地蔵盆でおやつを頂けること。
送り火にせよ地蔵盆にせよ、今思うと、幼心に京都の伝統的な宗教行事に参加できていたことは、
得がたい体験だったと思います。

科学的合理的な思考が偏重するなかで、多くのことが分かってしまうようになった今、偉大なる力に触れることは大変大切です。

人間の考えることからすると、大自然には想定外のことばかり。
人間の思考を超越した力があることを忘れずにいたいものです。

※YouTubeから動画をリンクさせて頂きました。
 ありがとうございます。