高野山に向かう〜移動の時間〜

10月の土日はヨーガの集まりが多い。先週は京都・嵐山と名古屋、今週末は高野山、来週は大阪、再来週は鹿児島と博多と目白押しだ。今月は、新幹線も長距離ばかり12回も乗る。

よくそんなに動いていて大丈夫ですか?と問われることがある。いつも「全然大丈夫ですよ」と答えている。これはやせ我慢しているわけではないのだ。

確かに移動には時間がかかる。きょうの高野山にはゆうに6時間を超える。確かにくたびれはする。でも疲労とは随分と中身が異なるのだ。

それには幾つかの理由がある。埼玉に住まう私は、まず、高崎線で上野まで向かう。この路線は、混雑がはげしく、上野まではすし詰めの立ちっぱなしが普通だ。そんな中でも嬉しいことがあるのだ。電車(埼玉で育った中高年お方は汽車という。その昔はSL路線だったらしい)が東京との県境にさしかかる際、荒川を渡るのだが、その眺望が素晴らしいのだ。たっぷりと水を湛えたさまは狭い都会とは対象的に雄大だ。天気がよければ西に富士山も拝むことができる。

遠くを眺める、こころの視野を広くする事を大事と思う私にとって、遠望視ができるのはとてもあり難いからだ。東海道新幹線に乗ると、右には再度富士山を間近に見ることができる。さらには遠州灘や浜名湖も目を楽しませ、心を豊かにしてくれる。伊吹山系、琵琶湖、東寺五重塔もある。今日は霊気に満ちた高野山に登ることができる。

そう、移動は私にとって、仕事の時間でもあるが、こころに栄養補給を行う楽しみの時間でもあるのだ。時間をかけて移動したのちは、仲間との充実したヨーガ三昧のひと時が待っている。ヨーガの後はさらにヨーガ談義と、また有意義なひと時となる。

こう考えると、無駄な時間などないのではないだろうか。同じ時間、捉え方はさまざまだが、できれば、こころのゆとりを作り出すことも、積極的に挑んでみては如何だろうか。

今も富士山を眺めながらこの原稿を書いている。