光〜燈明〜

幼い頃からよく参拝に出かけるお寺があります。あまり観光地化されていないので、紅葉シーズン以外は、境内にも人はまばらで、見渡す境内、誰もいないことも多々あります。本堂に入ると薄暗く、広い畳間の正面に蠟燭の炎とそれに照らされる阿弥陀如来だけが目に入ります。大変静かで、自分自身と向き合うのには最高の環境です。

二年前に訪れたバチカン大聖堂も先日参拝した知恩院でも同じものを感じました。いずれの場所でも、こういう場でヨーガをできれば最高だろうと思ってしまいます。

人は本能的に光を求める習性があるといいます。物理的光だけでなく、心で感じる光を求めているのです。本堂で見た燈明は微かな光でありながら、こころの琴線を震わすには充分すぎる、そしてもっとも効果的な手段だったのかもしれません。

大震災以降、東日本では広く節電が推奨されました。今でも名残がありますが、東京駅と名古屋や新大阪駅との間には、構内の明るさにはっきりとした違いがあります。その結果、「陰影」が再認識され、暗さに対する日本人の意識が再び覚醒されました。

明るすぎると、本来見られるべきものが見えず、見なくていいものに意識が行きがちです。
照明を落とし、蛍光灯から弱い白熱灯や蠟燭に切り替え、心を鎮める。

現代にはそういう心の一隅を照らす光〜燈明〜が必要なようです。