去年はインド的調気法と中国的「呼吸法」についての比較研究をした※。
今年は、純日本的な呼吸観を調べている。
これは、とてつもなく困難なテーマだ。
ポイントになるのは、中国伝統の土着的宗教である道教。
仏教と前後して日本に伝えられた道教は深く日本に根ざしてしまった。
私たちが普段使っていることば、仏教由来のものも結構多いが、道教由来のものもかなり多い。我々が大切にしている呼吸法、その「呼吸」という言葉がまさしく道教の用語なのだ。
そして、仏教にも漢訳される過程で大いに道教的要素が入り込んでしまった。
というより、道教的観念がなければ、仏教は中国には入れなかっただろう。
われわれが、仏教だと思っているひとつひとつに道教が染みこんでいる。
だから、大陸から伝えられたものは、ほとんど道教的だともいえる。
でも、インド的な呼吸観と中国の道教的な呼吸観はまったく違う。
インドは魂の解放、つまり解脱を目的とするのに対して、中国式は健康と長生。
呼吸観やその目的はまったく違うのだが、技術的にみれば、日本で伝統的にされてきた呼吸法はほとんど道教的呼吸法だ。禅で教える呼吸法も道教的要素が強い。
こんななかで、果たして、何が日本的といえるのか。
なにせ、日本で文化的躍進が見られるのは、大陸との交渉後、仏教や道教が入ってから後のことなのだ。
最古層の文献『日本書紀』や『万葉集』にもすでに道教の影響が見られるくらいだから、それ以前の、日本本来の呼吸観を見出すのは不可能に近いことかも知れない。
※本日、論文掲載(PDF) にアップしました。どうぞご覧下さい。
「インド的調気法と中国的「呼吸法」について」(『東洋学研究』第49号 2012年3月)
「日本におけるヨーガの受容-呼吸観を中心に-」(東洋大学東洋学研究所研究成果報告書2011年度)