廻向の気持ち

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あれから4年が経とうとしています。
多くの悲しみがあり、改善されるべき問題点も時間が経つばかりで、
一向に解決しない模様を感じている方も多いでしょう。

3年前に石巻、女川、大川小学校跡を訪れ、心ばかりの回向をさせていただきました。
写真はその時のものですが、その後の復興も報道を聞く限りでは、なかなか進んでいないようです。

その時の気持ちを持ってインドの仏跡地で復興支援の法要をさせていただき、全くわずかな心ばかりの気持ちですが、仲間と表せたのは大変良かったと思っています。

明日、3月11日を迎え、月末には再度インドの仏跡地で復興支援法要を行うつもりです。

まず、明日、京都の仲間とと共に鎮魂と誓願を込めて過ごしたいと思います。

                     合掌

石巻で『般若心経』を梵語読誦(2012年3月21日)
廻し向ける(2012年3月11日)
東日本大震災から1年(2012年3月11日)

幸せへの祈りをこめて(2014年3月11日)

天下泰平 國土安全

DSC_0251現在私が居住する埼玉では、庚申供養塔を多く見かけます。この供養塔は、いつものとおり道にあるので、そこを通る度に目に入ります。

寛政五年(1793年)癸巳九月建立。でも実際はこの年は癸丑(みずのとうし)なので彫り違いですね。武州上尾村二宮講中とあるので、現在の上尾市上尾村二宮地区の信者さん達の建立だと分かります。

「天下泰平 國土安全」と刻まれており、戦乱がなく平和で、天災もない安穏を祈念した当時の民衆の気持ちが偲ばれます。その他、古来より、五穀豊穣、子孫繁栄、祖先崇拝、無病息災、安寧長寿、家内安全などの招福祈願、厄除祈念がなされてきました。
 
 
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ここを通る度に、こうした祈念の気持ちが想起されます。祈念を形にした塔や寺院は、おそらくそれが目的のひとつだったのでしょう。220年以上の時を経ても、その功徳は絶大だと思います。

ヨーガの実践には誓願が必要です。誓願があるからこそ行も成就に近づくといえます。誓願、祈りの気持ちは、今後も大切にしていきたいと思います。

米寿のお祝い

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雄弘ヨーガの仲間には、ご高齢でお元気にヨーガをされている方がたくさんおられます。

昨年の11月には「卒寿のお祝い」をお知らせしましたが、この度、米寿を迎えられた方がおられます。それが、こちらの重盛さんです。以前、体験談でも出て頂きました。
 

 
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20年近くヨーガを支えにして通って頂き、一緒に行じている仲間なのです。一時、体調を崩されたときもヨーガで克服されてきました。
そして、ヨーギーであるばかりでなく仏師でもあられ、以前、雄弘ヨーガの瑜伽観世音菩薩をイメージして観音立像を御寄進して頂きました。

このように、お元気でヨーガとともに歩む方が益々増えていくことが、我々の願いなのです。

謹賀新年

新年、あけましておめでとうございます。
本年も宜しく御願い申し上げます。

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「心自在にして光顔巍巍」

「自在」とは心を縛るものなく、全く解放されている様をいい、「光顔巍巍(こうげんぎぎ)」とは、お釈迦さまが、いままさに教えを説き始めようとする際、全身が喜び出し、姿が清浄であり、お顔全体が大きな光となっているような様をいい、特に「巍巍は」は徳の高く尊いさまを表しています。

「あーっ、自由になりたい」という思いは、誰にもあることと思います。このとき、私たちは自分以外のものに縛られているように勘違いしています。まわりに翻弄されて他に影響を受けている自分であることに気付いていないのです。

自在というのは、自分のより所を「自分のうちに在る」ようになった時の安堵感であり、その時はおのずと、姿は清浄で、眉間も広く自身が輝くようになることでしょう。

心を自在にできたときには、顔は光輝いて巍巍たる姿となる、というのです。

心を自在に導くのは、瞑想の力に他なりません。邪魔するものを排他的に取り除くという「自由」ではなく、呼吸法と瞑想によって、散らばった心をまとめ一境に住するものとしていくことが大切です。

こうすることで、自分の内に自分を取り戻し、翻弄されない真の自由、すなわち「自在心」を獲得できるようになります。「自在」とは、自分の中心軸を定めることであり、翻弄されない自分をつくりあげることなのです。

自分の芯を維持した本当の意味での自由、つまり、「自在性」こそが真の自由であり、その手段が瞑想力なのです。今年は、排他や逃避ではなく、瞑想力によってまわりに左右されない自分を目指す一年としてみては如何でしょうか。

あたらしい年を迎え、みなさまがからだ健やかに、「自在心」を獲得し、こころはゆたかで「光顔巍巍」に過ごせるように、祈念したいと思います。

                         平成二十七年 乙未正月元旦

 番場裕之直筆サイン切り貼り作成2015サイト用

古典ヨーガ~中世ハタ・ヨーガ~現代ハタ・ヨーガへ

以前のブログで、現代ハタ・ヨーガは古典ヨーガや中世ハタ・ヨーガとは直接関係のない、西洋的体操法とインド各種のヨーガの習合であることをお伝えしました。その歴史性、成り立ちに驚かれた方も多かったことでしょう。

今回は、それに関して別の次元から考えてみましょう。インドではヴェーダの時代の宗教観から後にウパニシャッドの時代を経て、ヨーガの思想が生まれたのは、それまでの思想や仕方に限界があったからで、必然性をもって生み出されたといえるでしょう。

22以降、瞑想を中心とした実践によって、至上の境地に至るヨーガの時代となります。その時代のヨーガは精神性をかなり重視していたので、身体技法はさほど進化しませんでした。

しかし、心を一点に集中させていく瞑想を効率的に行うには、祈念のみによる集中よりも、瞑想を力強く誘う手段が必要でした。そこで発達していくのが身体技法です。中世ハタ・ヨーガはこうした中で、古典ヨーガよりも身体観を劇的に進化させています。

その後、西洋列強による大航海時代、植民地時代を経て、西洋と東洋が出会うことになります。インドに出会った西洋人は、インドと西洋の言語の類似性に気づきます。少し話がそれますが、インド人の祖先と西洋人の祖先とは共通の民族だったので、言語も似ているのです。一番下の写真の牛のうなじに掛けられた横木を軛(くびき)といいますが、牛に軛をつけることがyogaの元となった動詞語根√yujの本来の意味です。この語が英語では”yoke”ドイツ語では”Joch”という形で残っています。
そして、西洋の身体表現とヨーガの身体観が習合して、新たなヨーガが生み出されました。これが現代ハタ・ヨーガです。つまり、共通の先祖から生み出されたインドのヨーガと西洋の体操が時を隔てて再度出会ったということなのです。

33古代インドの時代からの精神文化史を眺めると、ひとたび新しい思想潮流が起こると、それ以降は、すべて新しい思想に強く影響されて、取り込まれていくという傾向があります。

例えば、古代において起こったヨーガ思想によって、精神性の探求が深められ、瞑想=ヨーガが修行の中心となります。その後、タントリズムの興隆と前後して身体技法が発展し、中世ハタ・ヨーガの身体技法はイスラームやヨーロッパ東部のキリスト教にも取り入れられます。現代ハタ・ヨーガが興ると、ヨーガといえばすべてダイナミックな身体技法の影響を受けます。こういう歴史の繰り返しでした。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA古典ヨーガも中世ハタ・ヨーガもその原初的なあり方は残っていないので、次世代のヨーガのなかにしかヨーガは残っていません。現存するヨーガにこそ、ヨーガの心を見出すことができるのです。

現代ハタ・ヨーガが西洋思想のもとにできたものと聞いて驚かれた方も多いでしょうが、今となっては、現代ハタ・ヨーガの中にこそ古典ヨーガも中世ハタ・ヨーガも見出すことができるのです。

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※現代ハタ・ヨーガの成り立ちについては下記の論文が参考になります。
・石井昌幸、永嶋弥生「現代ヨーガの誕生~身体文化におけるグローバルとローカル」『体育の科学』 62(5), pp.349-354, 2012
・伊藤雅之「現代ヨーガの系譜~スピリチュアリティ文化との融合に着目して」『宗教研究』84(4), pp.1255-1256, 2011 PDF by Cinii
・伊藤雅之「現代ヨーガとスピリチュアリティ」『アジア遊学』(84), pp.154-165, 2006

「ヨーガ派の瞑想〜一境集中への架け橋〜」シンポジウム報告

シンポジウム「精神性に与える瞑想の効果」1
去る11月29日、東洋大学国際哲学研究センター主催のシンポジウム「精神性に与える瞑想の影響」の日が開催されました。雄弘ヨーガ関係者の方もその中に1割ほど来ていただき、遠くは高知からも聴講に来られました。力強い応援の中で発表させていただきました。以下に、私の発表内容の概略を記しておきます。

◆ヨーガの瞑想
インドの瞑想について、特にヨーガ派の瞑想の手段について、述べさせて頂きます。
古典文献に記されたヨーガを現代社会に反映するのが、実践者としての立場なので、旧来の伝統的解釈に縛られないで実践的解釈をしたいと思います。

そもそも、瞑想の概念は多様であり、背景となる思想によって様々な瞑想が存在していたし、現在もそのようになっています。
実際、『ヨーガ・スートラ』にもいくつかの異なった体系の瞑想が入り込んでいます。

瞑想すなわちヨーガが、ウパニシャッドの中で説かれるようになる紀元前から、『ヨーガ・スートラ』の完成とされる五世紀ころまで、約千年ほどの時間差があり、その間に様々な瞑想観から影響を受けたものと考えられています。

『ヨーガ・スートラ』には、おもに三種類ほどの体系が説かれています。
『ヨーガ・バーシャ』という註釈が最高の瞑想と伝える無想三昧とその前段階とされる有想三昧、仏教の影響を強く受けて取り込まれたとされる有種子三昧・無種子三昧、そして、ウパニシャッド由来の特徴を強く残した八支、ヨーガ・アンガで示される、凝念・静慮・三昧の体系です。

その短さ故に、『ヨーガ・スートラ』単体での理解が困難で、註釈を活用するという手法をとるのですが、その際、註釈の思想に影響されるということからは逃れられないところがあり、瞑想も様々に解釈されていて絶対的な見解がないことから、その内容については、今ここでは触れないでおきます。
瞑想シンポジウム小
◆瞑想の手段
『ヨーガ・スートラ』には、瞑想に至る具体的手段もいくつか示されていて、自在神祈念、読誦、行事ヨーガについては、三昧乃至は無想三昧の手段とはっきりと記されています。
その他、瞑想の手段と明記はされないものの明らかにそのように理解できるものが、坐法、調気法などです。

坐法は今日的な体位法ではなく座禅に近いものです。坐法の完成には座が堅固に定まるだけでなく、サマーパッティという瞑想の手法が不可欠であるとされています。『ヨーガ・スートラ』の調気法の目的は、日常の心情を反映した乱れた粗い呼吸をなくすことです。乱れた粗い呼吸は三昧状態の心には起こらないものなので、呼吸が丁寧に調えられれば、三昧に近づくことがわかります。

これら三昧の手段のうち、読誦、坐法、調気法は身体感覚としての内部的な刺激をともないます。読誦の場合は声を発することによる振動やバイブレーションと呼吸を伴います。坐法は座を組んだり姿勢を正すことによる刺激があり、ハタ・ヨーガの体位法のようなダイナミックな実践になると、その刺激も増大します。調気法は呼吸の実践なので、息の流れる感覚や腹部・胸部の動きによる内部刺激を伴うのです。

この刺激がしっかりと把握できるようになると、気が多く散乱していた心がその感覚に自ずと縛り付けられて、否応なくその感覚のみを捉えて、ひとつの対象に心が固定された集中状態になるのです。

調気法、特に、入息も出息も鼻で行うヨーガ式の鼻孔呼吸の呼吸の場合は、その効果も特別なものとなります。呼吸を酸素と二酸化炭素のガス交換と単純なものと理解した場合は、出息については鼻呼吸も口呼吸も大差はありません。しかし精神的影響、気のエネルギー、プラーナなどを合わせて理解すると、鼻孔呼吸は重要な意味を持ってきます。

◆鼻孔呼吸の意味
鼻腔の中には三段の仕切りがあって、それぞれ下から下鼻甲介、中鼻甲介、上鼻甲介といいます。息が日常の心情を反映した乱れた粗く速い呼吸であれば、息は下鼻甲介を通ります。しかし、繊細に調えられた長い息の場合は、上鼻甲介を通ります。上鼻甲介には嗅覚神経が密集していて、そのすぐ上が脳になります。
嗅覚
このように繊細な出息をすることで、嗅覚神経を刺激することとなります。嗅覚神経を刺激すると副交感神経が活性され、興奮気味の心も沈静し、瞑想に必要な準備を調えることができます。

また、上鼻甲介や嗅覚神経を刺激した際の独特の感覚は、まさに身体感覚としての内部的刺激そのもので、散乱していた心であっても、否応なくその感覚のみを捉えて、ひとつの対象に心が固定された集中状態、つまり凝念となるのです。

凝念を深めて、同じ感覚から心がぶれなく集中できると、静慮、そして三昧へと瞑想の段階を登ることができるのです。古代のヨーガ行者たちは、この感覚を気のエネルギー、つまり、プラーナだと捉えたものと考えられます。

瞑想自体はとても大きく深い実践ですが、入口はこうした内部刺激への集中から始まります。まずは、ゆっくりとした腹式呼吸によって、長い出息を心掛けて、上鼻甲介と嗅覚神経の刺激に集中することで、雑念がなくなり、心がひとつの対象に定まった心一境性に至ることができます。

5分位の実践から始めて、心のもやもやをスッキリしてみましょう。

卒寿のお祝い

立石さん卒寿20141111 (1)
雄弘ヨーガの仲間の最高齢は90歳の方です。

先日、ヨーガの後にみんなでささやかな卒寿のお祝いをさせていただきました。

ひとりで月3回通われていて、とても明るく元気でいらして、みんなの憧れの的になっています。

立石さん卒寿20141111 (2)
この「なにわ研修会」には80歳代の方がその他にも大勢おられます。

これがヨーガの凄さなんですね。

ヨーガに年齢なんて関係ない!そういう方が益々増えるのも楽しみのひとつです。

瞑想

P1030288-2014/11/04放送の「首都圏ネットワーク」(NHK総合テレビ)で、瞑想のことが取り上げられていました。

フィットネス効果が期待できるとして、広まったヨーガですが、本来は確たる自分自身を見出す瞑想が原点です。

呼吸を意識する、身体感覚の一部に集中するなど、内部的な感覚に集中することからはじめるのが入りやすく、誰でも容易に始めることができます。

1日5分程度からイスに腰掛けて軽く目を閉じ、自身の呼吸を観てみる。そんなところから、はじめるのも良いですね。最初は雑念一杯ですが、雑念にとらわれずやり過ごしていると、自ずとこころが静まってくるのを感じるはずです。

呼吸瞑想法、はじめて見ませんか?

広がる“瞑想”の可能性
http://jcc.jp/news/8916363/

瞑想のシンポジウムも是非、御来場ください。
https://yukoyogayogin.com/blog2/?p=1457

雄弘ヨーガの実践セミナーin嵐山 20141101

山々が色付く11月1日、風光明媚な嵐山で実践セミナーを行いました。
京都地区のメンバーを中心に、名古屋からも出席され、充実したヨーガと交流、
そして料亭木乃婦さんのおいしいお料理を頂きました。
会場となった「小倉百人一首殿堂 時雨殿」の方々には、たいへん良くして頂きました。
ありがとうございました。

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雄弘ヨーガの実践セミナーin聖護院御殿荘20141025-26

大阪地区のメンバーを中心に、徳島、高知、金沢や新潟、秋田などの遠隔地からも来られました。
楽しい交流とともに2日間の日程すべてを修了しました。
26日の早朝は、黒谷・金戒光明寺の境内をお借りして、礼拝と早朝ヨーガ、散策を行いました。
清々しい、充実した2日間でした。

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