無罣礙~身体と頭を空っぽに [3] 最終回

2012年2月29日以来掲載してきました、無罣礙~身体と頭を空っぽに~の第3弾(最終回)をお送りします。

1991年5月4日の先代雄弘師の講話記録を文字に起こしたものの一部です。
※原文のままでは分かりにくい部分のみ、若干修正しまた。

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だから、頭を空っぽにしてね「無罣礙」ですね、えーっ、そうして、からだの障り、からだの障りっちゅうのは、まあいろんなからだに障りがあってね、人間のからだというのはね、もう、だんだんと汚れていってね、狂ってきて、いろんな病気が出やすくなってきてますから、そういう障りをね、やっぱり毎日取っていくんですわな。障りを取っていく。で、こんなもん、休日に取ろうと思っても取れないんですよ、そんな安易な考え方いかんですわな。毎日、こころとからだの障りを取る。

アインシュタインさんはね、頭の障りを取れって、そしたら発見できるってね。私たちはそんなんでは満足しない。もちろん、頭の中にこびりついておる、からだもね。まあ、これ、食べ物でも一緒ですわな。もう、うーーんと、お腹空かしておくとね、ものすごく栄養になるわな。で、からだが全身全霊でそれに働きます。分解して栄養にして、、、ね。

ところがもーっ、いつも、飽食なっておってね、もう、からだが鈍くなっておりますと、もうどれが本当の栄養でどれが無駄な栄養かわからへん。もう適当に選択しとるわけや。いつも適当には入ってますからね。これダメなんです。もっている力を全部発揮することが出来ないね。むかし、断食すると、そういう力が発揮できるとかいいますけど、断食しますとね、また、いろんな障りが出てくるんですよ。

えーっ、ああいうことっていうのはね、えーっ、これも一緒、あのーっ、時々やってもだめなんですわな。毎日、その障りを除いとかんと。そうするとね、「無罣礙」という状況がでてくるんです。その「無罣礙」という状況がだんだん清まってくると、この観音さんとかね阿弥陀さんがね、出てくるんです。わかりますか?

つまり、その人のなかから、そういう力が出てくるんですね。それを、智慧というたんです。そうするとね、あのー、非常に人間というのは楽になるんです。えーっ、まっ、これにすがっておれば大丈夫だという、信念が出てくるんですな。そしたらもう、あんまりしょうもないことやらなくなるんです。無駄なことやらなくなる。

無駄なことやらないから、ものすごく能率が良くなる。仕事がどんどんできる、ね。そして、えーっ、充実していくわけですな、非常に短時間でもって、物事が早くできるね。だから、ものを考えたりまとめたりするとっちゅうのはね、ヨーガをやっとったら、ものすごく早い。サッサッサッサーって纏まってしまうね。それをまあ、それを具体的に書いたりするのは時間かかりますけどね、こういうことサッと頭の中で纏まったりするのはね、えーっ、この「無罣礙」になっているからすぐできる。

からだもそうですね。サッと全身が調和とれておってね、からだに障りがなくなっているね。それで、からだとこころも障りがなくなって、それはもう一つになってね、障りないと一つになるとね、そこにひとつの、観音力とかね、大きなその人を守護する力が出てきます。わかりますか? これがね、ヨーガの考え方なんですわ。だからひとつ、えーまあ、休日も結構やけど、毎日そういう休日を取るのが一番よろしいですね。毎日。

えーっ、そうすると我々の生命も人生もですね、「無罣礙」でなくっやいけない。「罣礙」ばっかりなんです。もう日頃のこと障りばっかりや。こころに引っかかることばっかりや、からだに引っかかることばっかりでね、それがいっつも私たちを引っ張って悩まされておるんだから、それを「無罣礙」にしていく。これが我々の「ヨーガはからだで唱える真言である」という考え方なんです。分かりましたか?

だからそれをひとつ毎日、そういう気持ちで実践されますとね、いのちが生き生きとね、えーっ、いつもこう水生けされている花のようにね、生き生きして、素晴らしい、みずみずしいようになって、こういう気持ちがからだとこころにありますとね、気持ちが明るくなって、人生が前向きにいられるという、こういう素晴らしい効果があるんです。 -終-