夕陽と陰影

夕陽がすきだ。なぜか朝陽よりもこころの琴線に触れるものがある。何故なんだろうかと夕陽を見ながら考えてみた。

京都に滞在中は、比叡山の玄関前から京都盆地の西側、高尾山や愛宕山の山並みに入る夕陽は最高に美しい。
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埼玉に滞在中は、身近に山こそない代わりに、地平線の彼方に落ちゆくように見える夕陽は、また違った美しさがある。
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夕陽に何かを感じるのは、育った環境でも今生活する環境でも、朝陽よりも美しい夕陽に巡り会うチャンスが多かったからかも知れない。

京都市内では、西側に陽が落ちた後にあらわれる独特の陰影があり、西側にはその陰影が残るものの、西日があたる東側の比叡山や如意ヶ岳は日没後も映えて美しい。
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京都盆地に陽が降りそそぐ「陽」が西側から徐々に「陰」に変わりつつあるとき、西の空はあかね色のようなえもいわれない色に染まってゆく。その空の色と夕陽を見て育ってきたからこそ、夕陽になにかを感じるのであろう。

はっきりとは思い出せない記憶の奥底の、遠いあの時にも見たに違いないこの景色。きっとその記憶に触れるからかも知れない。
同時にこういう経験が、多分に自分のものの見方を形作り、私のヨーガ観にも大きな影響を与えている、そう思わずにはいられない。

 

抜群の浄化力

お香の香り、いいですよね。
少し香っているだけで、妙にこころが和みます。
すごい浄化力なんだなぁ、とつくづく思います。

お香屋さんに聞いたことですが、お香の香りは、一方向のみに伝わるような直進性ではなく、同心円状に遍く広がりゆくのだそうです。
教えを聞く聞法に対して聞香といい、遮るものなく広がって行くのは真理が伝わるのと同じなのだそうです。

私たち日常は、イライラっとしたり、気持ちが高ぶったり、落ち込んだりと、こうした情動に支配されていて、なかなか世俗の心情から抜け出せないものです。
そんな時に、こころの内のクリーナーになるのが、声を出して唱えるお経。

お経を声に出して唱える読誦には、お香によって和むのとはまた違った、内側からの抜群の浄化力をもたらしてくれます。こころの盲目的な情動をスーッと浄化してくれるのです。
呼吸の波動に馴染みやすい、サンスクリット(梵語)なら、浄化力も一層高まります。古来より唱えられてきた『般若心経』なら簡単です。

गते गते पारगते पारसंगते बोधि स्वाहा //

gate gate pAragate pArasaMgate bodhi svAhA .※ 

ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー。

単音を一拍、長音を二拍相当にして、お腹から声を出して読んでみましょう。

こころが盲目的な情動に支配されている時は、こころが狭くなっているとき。そんな時は、深い呼吸で大きな声を出すのが効果的なんです。ストレスが溜まった時に、なんとなく「わーっ」と声を出したり、カラオケに行ったりしていることと基本的には同じです。

ただ、それだと根本的な解決にならず、一時的な現実逃避になります。そのあとに、気持ちを鎮めて自分を取り戻すには、お経を唱えるのが最適なんです。
こころの内にスーッとクリーナーがかかったように浄化されているのが確認できると思いますよ。

※ローマナイズ・フォントが使えないので、ここでは「京都・ハーバード方式(KH方式)」にて表記。

からだが硬い

からだって、すぐに硬くなりますね。

やはり1日の内はじめてヨーガをするときなど、からだの堅さを痛感し、痛くもあります。よく、私は痛みは感じなくてらくらくとしているように思われるのですが、そんなことはありません。結構痛いんです。でもその後の解放感、before and after の違いがはっきりと感じられるので、痛さを受け入れられるのです。

ヨーガを始めると、からだの変化に敏感になります。今まではぼやーっと「自分はからだが堅い」、「肩こりが辛い」と思っていた方でも、血行が良くなり、柔軟性も少しずつでてきます。そうすると、1日のからだの変化もよく分かるようになります。または、どうしてこうすぐに硬くなるのかとも感じるように。身体感覚がかなり敏感になるのです。さらには、今までは感じたこともない指先の微妙な感覚が冴えてきます。

そして、腰が痛い、肩が凝ったなど、なんとなく肩を揉んでみたり腰を叩いてみたりしていた自分が、はっきりと腰を伸ばしたい、ねじりたいなど具体的な仕方が分かるようになったりします。

こういう感覚は大切です。からだの生理的欲求というか、自然とからだが望む声が分かるようになるのですから。特に節々といわれるからだのつなぎ目部分、足首、ひざ、股関節、腰、肩、ひじ、手首など、からだが望んでいることが分かるようになります。

からだの望んでいる声や、こころの底の本当の自分の声が聞こえる。頭で考えていたこととは別の真のなにかが分かるかも知れません。

根の掃除

去年から蓮を育てています。去年は葉が伸びただけで、咲くことはありませんでした。全くの初心者が取扱いはじめたので無理もないことです。

蓮の種類は埼玉県で見つかった「古代蓮」。2000年以上前にさきたま古墳一体で群生していた古代の蓮です。それが地中を掘り返していて偶然見つかって、大切に増やされていった種類のものです。2000年前のままの姿をとどめているって、すごい時間の含みを感じます。

蓮は毎年古い根の掃除が必要と聞き、狭い鉢の中でひしめき合っている古い根を一掃しました。土をこねて気の通りをよくする一連の作業をしました。ひと月ほどして、新たに芽が伸び上がっているのを見つけました。おそらく、これが浮き葉になるんだろうと思います。そして立ち葉がでてつぼみ、開花というようになるはずです。

根を掃除していて感じたことですが、なるほどこんなに狭い中であちこちに伸びた根がひしめき合っていては気の流れも滞るはずです。花なんて咲くはずもありません。鉢植えを大地に降ろしたとたんに急に成長するようになる、よく聞く話です。

ヨーガでも気の流れが極めて大切。外的なものばかりでなく、自分でつくりだすストレスでいのちは窮屈に苦しんでいます。それを解き放ち、のびのびとさせてやることはとても大切なこと。

枝葉の茂りと同等以上に土の中では根が広がっているといいます。上に伸びるためには、下にも伸びないとダメなんですね。私たちは目の前のことや上の方向のことばかりに意識が行きがちです。そんなときほど、下や裏側、目に見えない礎となる部分を大事にしないと!

蓮の根の掃除をして土をこねていて、そんなことを感じました。
蓮も喜んでくれていることでしょう。

雪が解けると何になる?

「雪が解けると何になる?」

先生からの質問に児童が答えました。
みんな大きな声を揃えて、満面の笑みをたたえて、

「雪が解けると、、、、
      水になる。」

それはとても普通の、そして至極当然の正しい答えでした。そんななかで、ただ一人特別な答えをしたこどもがいたそうです。

「雪が解けると、、、、
      春になる。」

なんと文学的なんだろうと、先生は多いに感動したそうです。
こういう感性は大切にしたいですね。
対して先の答えは、ある意味で科学的。
理科の答えならこれが正しいし、「春」といえば間違いかもしれない。

でも、人間のこころは非合理的で論理だけでは動かないもの。
「春になる!」があまりに感動的だったので、多いに期待して同僚に同じ質問をすると、

「雪が解けると、、、、、?
      足元が濡れて嫌ですね〜」

あまりも現実的、夢のない返事にがっかり。こころのゆたかさは、失いたくないなあと、ひしひしと思ったそうです。

三寒四温のなか、明日は、全国的に気温が高くなり、4月中旬の暖かさだそう。
春があちこちに見えてくるはずです。

「春になる」といえる感性を大切にしたいものですね。

おなかを鍛えていますか?

おなかを鍛えていますか?
といっても、もちろん腹筋のことではありません。
こわしやすいお腹を丈夫にする、という意味でもありません。

ここでいうおなかは、生命力というかいのちの太さともいえる「おなか」のことです。「ハラ」ともいうし「腰」とも表現されます。

先日、女学生が浜辺で発声練習をしているシーンをテレビで見ました。まさしくおなかから声が出ていて、すごく迫力のある、生命力に満ちた声でした。それ以上に見入ったのは、激しく動く女学生のおなかです。これはまさに、カパーラバーティ浄化呼吸法そのもの。

古来、おなかはインドではチャクラ、中国では氣海丹田とおなかを大切にしてきた伝統、歴史があります。日本でも「ハラの文化」が栄えました。

おなかにあたるチャクラはスヴァアディシュターナ、これは、「おのれの根拠となる処」という意味だし、丹田は「不老長寿の妙薬”丹”を養う田んぼ」であるし、ハラは「からだの中心、こころ」を意味していました。ハラを割ることで人との信頼関係も構築できるのです(※下の写真は、朱色の6花弁の蓮華で表されるスヴァアディシュターナ・チャクラ)。

日本ではハラに力が入りやすく、意識しやすくするために、帯でしっかりと締めることをやってきました。私たちの先祖は、おなか、ハラ、丹田を大切にしてきたのです。

腹筋を鍛える意識はあっても、お腹を鍛える意識は薄いのではないでしょうか。もう一度、おなか、ハラ、丹田に意識を向けて見ましょう。

腹式丹田呼吸で下腹部をしっかりと意識する。
カパーラバーティ浄化呼吸法で下腹部に強烈に気を込める。
教典を読誦する際には、しっかりとハラから声を出す。

こうした日々の積み重ねで、こころとからだの芯が定まる、つまり、ハラが据わり、声も口からではなくおなかの底からでるようになって、呼吸も深くなります。腹筋も鍛えられるし、こわしやすいお腹も丈夫になる。腰も落ち着いて心も安定す。これらすべてを含むのがおなかなのです。そして、地に足の着いた安定感が出てくるに違いありません。

日本の伝統

町中には画像のような「大売り出し」「石油」などの宣伝旗があちこちに見受けられます。あまりに見慣れているので何とも思いませんが、実はこれ、かなり古い日本の伝統なんです。

下の画像は、戦国時代の1570年に姉川付近(滋賀県)で行われた合戦をあらわした「姉川合戦図屏風」の一部ですが、「厭離穢土」「欣求浄土」と記されたのぼり旗が見られます。これは徳川家康の旗印ですが、これは、源信が985年に、浄土教の立場で著した書籍、『往生要集』にその典拠を見ることができる仏教的なものです。

また、武田信玄の有名な風林火山、「其疾如風,其徐如林,侵掠如火,不動如山」がありますが、こちらは兵法書『孫子』に典拠があるところから見て、その真逆な指向性間違いにも興味を引きます。このように、のぼり旗はその使われ方は変わっても、戦国時代以来の慣習を続けているのです。

また、呼吸をその心とともに大事にしてきたのも、また日本の伝統です。
わが国で、呼吸についての最初の記述があるのは古代の歴史書『日本書紀』(720年)です。もちろんこの時代に統御法としての呼吸の仕方が発達していたとは考えられませんが、呼吸が何らかの興味の対象となっていたことは事実です。

以来、密教や禅を経由して、インド的修養法に起源をもつ呼吸の実践が続けられてきたのです。我々日本人は、ヨーガや気功法などを実践していなくても、呼吸法という言葉は、日本人の心の底に深く入り込んでいますし、呼吸や息づかいを使った、「気が合う」「気に入る」「気が抜ける」などのことばも多く使われてきました。

日本人は、古来より呼吸・息を大事にしてきて今に至っているのです。戦国武将があげた旗印が今に息づくように、呼吸法は日本の伝統といえますね。
古来より続く日本の伝統が、形を変えてあちこちに息づいている。とても素晴らしいことだと思うんです。

 

一月も半月が過ぎ、、、

新年を迎え、一月も半月が過ぎました。
先週、関東平野では数年ぶりという大雪が降りました。雪もずいぶん長く残っていたので、抜けるような青空と日光で、スキー場のような銀色の景色がしばらく続きました。
成人式の門出に、積雪というたいへんな苦労をされた方も多くおられたことでしょう。

さて、皆さんのこの半月は如何だったでしょうか?
新たな誓願を込めて、新年を迎えられたことと思いますが、そのように、進んでいますでしょうか。順調な方、なかなかうまくすすまない方などさまざまだと思います。

日本には四季折々の天候の変化があり、その厳しさの反面、美しさもあります。天の気の運行・天気と同じで、現在順調でもその天候がそのまま続くわけではありませんし、たとえ不調であっても、その天気が一年中続くわけではありません。順調であっても不調であっても、それにとらわれずに、より善い年にしようと願い、まさに「歩々直入」、一歩一歩、善い年にしていきましょう。

こころを繋駕(けいが)するヨーガは、こころもからだも信頼できる人間に鍛え上げる行です。自分と向き合い、他とも繋がり、和をうみだす。
ここを忘れずにいれば、善い年になりそうですね。

謹賀新年

新年、あけましておめでとうございます。
本年も宜しく御願い申し上げます。

 

 

 

 

「こころを繋駕し、こころとこころを繋ぐヨーガ」

私たちが実践するヨーガは、仏教の世界では「瑜伽」と音写されて伝わりました。
日本の仏教の伝統では「ユガ」と発音しますが、そもそもは、こころが暴れ馬のように勝手な動きをしないように抑制、コントロールするという意味です。
それは、乗り物に牛馬をつなぎ、御者が手綱を握るように、こころを繋駕する手綱を締めることだったのです。

また、ヨーガを仲間とともに行ずれば、こころとこころを繋ぐ力ももっています。
自身の心を抑制、繋駕する自分の「行」として、仲間とひとつになる場として、
ヨーガはこころの世界に働きかけてゆくのです。

                            平成二十五年 葵巳元旦

 

 

 

久しぶりの更新です。先日、新幹線で関ヶ原地方を通り過ぎたときにふと感じたことがあったので、、、。テーマは「霧」です。

関東平野に住まいしていると、ほとんど出くわす機会がないのですが、いつも滞在する京都や山間部の比叡山ではよく遭遇するのが、霧です。冬の京都盆地では、どんより時雨か小雪舞うのが常ですが、関東平野ではからっと晴れたときが多いのですが、それほどに気候は地域によって違うのです。

深い霧に覆われている時、ひどい時は本当に視界が悪く、夜間の車の運転もはばかられるようなことも。まさに「暗中模索」。霧のカーテンしか見えないこともたびたびあります。
新幹線の車窓から、関ヶ原地方の濃霧を見て、ふと、こころに充満する霧をイメージしていました。こころのなかに満ちた霧は、こころの視野を悪くさせ、こころを重くしてしまうものです。この霧が晴れるとどんなにスッキリとするだろうと思うことも多々あります。
(雲に覆われた伊吹山↗)

しかし、霧に覆われた山なみは何とも美しく、独特の風合いを見せてくれるものです。雲ひとつない青空の下の山なみも良いですが、霞がかった稜線も趣深くて良いものです。もしかしたら、こころに満ちる濃霧もこのようなものかも知れません。こころが快晴なら気分すっきりと煩い悩むこともないのですが、心の霧は人生の機微、栄養にもなる。それはそれで、その人の味わいとして大切なものかも知れません。

こころが濃霧に満ちても、いつまでもそのままではありません。必ず晴れるときがきます。晴れた時の晴れ晴れしさ、爽快さが一層増すことでしょう。そういうときは、ゆったり、腹式丹田呼吸をして、眉間をゆるめてヨーガを行いましょう。

ヨーガはこころの霧を吹き飛ばす神通力を与えてくれます。(快晴時の冬の伊吹山↑)