祖先の華

今年も早いもので、半分が過ぎました。
京都では6月30日に夏越祓(なごしのはらえ)をするみそぎの日です。半年間の身の汚れを祓い、来たる半年の清浄を祈念し、京都ではこの日「水無月」(ういろうの上に小豆が載った和菓子)を食べる風習があります。
行田古代蓮の里20140701 (18--)
埼玉にいるとそういう風習は希いですが、今年を折返し、残る半年を息災に過ごすべく、北埼玉の祖先の地を訪れました。親戚の方と会い、玄米と大地のエネルギーいっぱいの採りたての野菜をたっぷりと頂いてきました。

そして、訪れた行田・古代蓮の里。行田古代蓮は、古代の地層から発見された種子が自然発芽したものといわれ、1400年~3000年前の原始的な蓮の姿をとどめているといいます。
古代蓮のつぼみ20140701 (4--)
私の祖先は、この時代このあたりに住んでいたので、ここで古代蓮を見ると、数千年前のご先祖様に会うような気がします。独特の淡いピンクがとてもやさしく、穏やかな気持ちになれます。

3年前から育てている我が家の古代蓮も、今日になってはじめて蕾を見つけました。
残る半年を有意義に過ごしたいものです。

幾重にも重なったご縁~業異熟果~

今年度から早稲田大学のヨーガの授業がはじまった。とうとう、というかやっと始まった感じである。というのも、早大とのご縁はかなり古く、30年以上前に、増上寺の雄弘ヨーガの教室に早大の教授の先生が通われていたことに端を発するので、足かけ30年以上かかった次第である。増上寺看板

その間に、早大人間科学部のヨーガの講義がはじまった。これは、「東洋医学の人間科学」といい、20年経った今でも続いている。また、これがご縁となって、早大のエクステンションセンター(文化教室)の講座が、10数年前に始まった。
これらのご縁がさらに重なって、早大の全学生を対象とする、実践を主とした授業が始まったのである。あの時のご縁が、連綿と繰り返し重ねられた結果のことといえる。ありがたい限りだ。

開講1ヶ月が過ぎ、少しずつ慣れてきた今日、大学から駅まで約10分ほど歩いてみた。その途中で見かけたこの施設。表札を見るとインド大使官邸と書いてある。施設の中を伺いながら、少しずつ記憶が戻ってきた。インド大使官邸

「ここ、来たことがある‼」

記憶のかなり下の層に入り込んでいたため、日頃思い出すこともないが、確かにここは、15年ほど前に、インド大使に招かれて、先代とともにやって来たところだ。

当時は、インド総領事のD.V.モーハン氏と先代がすごく深いお付き合いだったし、大使館の事務官の方も増上寺のヨーガに来られていたことなどから、大使館にも親しくしていただき、招かれることになった。大使官邸の広間で晩餐をご馳走になって、こちらは、アーサナのデモンストレーションを行った。

今日は、その15年前の場に、まさしく「出逢ったのである。」とても晴れ晴れとした心地で、旧知の友に出逢ったような体験だった。増上寺のヨーガ、早大の先生、早大でのヨーガの開講など、何段階ものプロセスを経てできた今日の授業と大使官邸との遭遇。歴史を一瞬にして渡り歩いたような心地であった。

ご縁は幾重にも重なって、また新しく結果を引き起こす。これは、業異熟果にほかならない。

これからも、ひとつひとつのご縁を大事にして今後も歩んでいきたいものだ。

芽が出る

夏を前に何か夏らしいものをと思い、前の連休中にヒマワリの種を蒔いた。花の種を蒔くというのは、小学校で朝顔の種を蒔いて以来ではないだろうか?と思うほど、新鮮な気持ちになった。

近隣の畑に一面で、真っ黄色に咲きわたる菜の花畑を見たのが心を動かせたようだ。そんなヒマワリ畑にしたいと思ったのである。菜の花畑20140410- (8)

早速種を入手し、慣れない手つきで地面と植木鉢に植えてみた。「こんな簡単に芽が出るんかいな?」と半信半疑であるものの、説明書きに従って植えた。

種を蒔くと、芽が出るまで待ちきれない。毎日水をやりながら、「ほんまに芽、出るんかな〜」の思いがますます強くなる。それでも約一週間後に、小さな芽を発見した。この一週間は、非常に長く感じられた。

ちらほらと毎日新しい芽が出てくる。その新芽には生命力、プラーナのようなエネルギーを感じる。
「ほんまに芽が出てる!」これは筆舌に尽くし難い、感動的な一瞬だった。ひまわり (7)-

種を蒔かなければ芽は出ない。かといって、蒔けば必ず芽が出るというわけでもない。蒔き方、タイミング、その他繊細な要素が複雑に関係しているようだ。
太陽と水、大地の養分は必須にしても、その他愛情のようなものも必要だろう。さらに目に見えない多くの力が関係しているのだろう。

実は、風雨をしのぐべく室内に置いておいた鉢植えのものは、芽が出たもののモヤシのようになってしまった。明らかに太陽が足りていなかった。それも地面におろして、大きく育つのを楽しみに日々、愛情をかけて水やりをしている。

芽を出して、花が咲いて、その目的を果たすまでは、気が抜けない…。

夏が楽しみだ。

収穫の喜び~こどもの日・立夏~

今日5月5日はこどもの日。埼玉の農家では大きな鯉のぼりが泳いでいる。また、夏のはじまりの立夏でもある。数年前に収穫した梅の実から作った梅酒を飲みながら、ここ数日の出来事を思い返しつつ書いている。

先日植えたひまわりの種が、今朝になって芽を出した。いのちの芽吹きのすごさに感銘しつつ、なにか季節を越えて、新しくものごとが起こってゆくようなそういう気がした。
sakuranbo2014
自宅に小さな桜の木がある。詳しくは分からないが、サクランボの実のなる木だ。桜の花のいのちは本当に短いが、春先に目を楽しませた花が、果実となってふたたび喜ばせてくれている。自然からもたらされる実りは、本当にありがたいことと、あらためて思った。

夏の繁茂をまえに、その桜の剪定した。先日とりそこなった、サクランボの実をもう少し採ることができ、食べきれないほど収穫できたのは、予想外だった。それでも、まだ残っている高所の実は、鳥たちに分けてやることにした。収穫したサクランボの実の半分は砂糖漬けに、残りは煮込んでジャムにして保存食とした。

食のもととなる収穫は、いのちを続ける重要なエネルギー源だ。できるだけ、人工的に作られた擬似なものではなく、自然なものを食したいものだ。

夏を経れば収穫の秋。いま近隣の水田は田植えが始まっている。ひまわりの種を植えたり、田植え作業に見入ったり、果実を収穫したり、そういう景色を好む自分がいる。自分の中に農耕に従事する遺伝子が組み込まれているからなのであろうか。

 

新年度がはじまりました

新年度がはじまりました。
今日は日本で1年がはじまる日。
暦年と年度がずれている国は珍しくないそうですが、私たちは年に2度、1年のはじまりを経験し続けてきました。これは、幸せなことですね。

4月1日の新年度のはじまりは、新年を迎える元日とは別の清々とした気分になります。温暖さとあいまって桜の開花、新入学、進学など、新たなはじまりを予想させるからでしょうか、多くの人の特別な日となっていることと思います。
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昨日は、群馬県北部にいましたが、ここでは雪が降り、まだまだ冬は遠く感じました。でも、今日ここ埼玉では、とても暖かく近隣の桜並木が満開になっていて、新年度というにふさわしい春らしい日でした。ついつい、桜を見に行ってしまいました。

皆さんの新年度はどのようでしょうか。何かに出逢い、新しいはじまり、そんな予感のする方も多いことでしょう。

私も大学と仏教系私立女子中学で新しいヨーガの講座がはじまります。
今までとは違う新しい波の運行にのって、大いに動こうと思います。

幸せへの祈りをこめて

あれから三年が経った。

三年前の今日、私は名古屋でヨーガの指導中に大きく揺れた。そうとう驚いたものの、こんな大事が起こったとは思いもおよばなかった。

その一年後、少しでも犠牲になられた方の供養になればと思い、石巻、女川、南三陸の被災地に足を向けた。どこも大変な状態だった。その後がれきはとりのぞかれたとはいうものの、復興にはほど遠いと、多くメディアで取り上げられている。放射能の心配もの消え去ることはなく、故郷に戻れない方々も多い。

あらたて自分の無力さを感じている。せめて出来るだけのことをさせて頂こう。
雄弘ヨーガでは、「ヨーガによる功徳の廻向」を旗印に、人に近いヨーガを行いたい、このようにあらためて思った。

~石巻・女川・南三陸 (84)

写真は石巻市立大川小学校校庭にがれきのように転がっていた聖観音菩薩の台座。
「幸せへの祈りをこめて」が妙に悲しかったのを覚えている。

「念念従心起。念念不離心。」
全員がこころにとめ続け、決して風化することなく、一日も早く復興という彼岸に至ることを、こころから念じてやまない。

                合掌

石巻で『般若心経』を梵語読誦(2012年3月21日)
廻し向ける(2012年3月11日)
東日本大震災から1年(2012年3月11日)

薫る風

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今日から3月、日々春を感じることが多くなってきた。薫る風、空の色、五感で感じる全てが春である。

昨日の暖かさに比べて今日はまた寒い。この寒さも三寒四温、また春そのものである。
というのも、本州の中程、比較的に平野地区にて感じることで、ありがたい限りだ。
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先日、ふと薫る風に昔のある時を思い出した。確かにあの時の薫りだった。
20℃近くまで気温が上がった昨日の薫りは、明らかに30年ほど前の5月頃に感じたあの薫りに違いなかった。

日頃よりその薫りをはっきりと記憶しているわけではないが、その薫りを体験するとき、自然とその時の記憶が蘇る。

日々春に近づく今、全身でそれを感じとることのできる楽しい頃合いだ。五感を繊細に研ぎすますように、心掛けたいものだ。

妙心寺標語

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先日、妙心寺に行ってきた。京都の名刹「臨済宗大本山妙心寺」だ。門をくぐり、境内に入ると、そこには、禅宗独特の雰囲気が漂っている。

さて、その門前に、ある標語が掲げられていた。大きく目立つものであるが、ここを訪れる人のどれくらいがこの標語に気づくであろうか。
それほどに観光地として寺院境内には魅力が一杯だ。

その標語は下のふたつだ。
「一日一度は静かに坐って 身と呼吸と心を調えましょう」

「生かされている自分を 感謝し報恩の行を 積みましょう」

妙心寺標語 (1)

妙心寺標語 (2)
下の方は忘れてはならない日頃の戒めとして理解できるが、上の方は、ヨーガか禅をやったことがなければ、なかなかピンとはこないだろう。

他宗の寺院ではなかなか見られないこの標語。
ヨーガに携わる身として、あらためて呼吸の大切さを更に多くの方に伝えていきたい。

何かしら「気」のエネルギーのようなものが、、、

大絵馬
先日、今年はじめての北野天満宮に参拝をした。平日の午後だったこともあり、空いていた。
私の中では、なぜか、京都でも大好きなところの上位に位置している。他にも、真正極楽寺(真如堂)、黒谷金戒光明寺、今宮神社、東福寺などがお好みだ。
梅
もちろん、有名であるとか観光地であるからというのがその原因ではない。幼い頃からよく出かけていたところばかりでもない。嵯峨野・大覚寺や化野念仏寺はこの数年で通うようになった。

おそらく、私のなかに、これらに共通する琴線に触れる何かが働いているのだろう。何かしら「気」のエネルギーのようなものが、、、

北野の天神さんで、今年の干支「きのえうま」の大絵馬を眺めながら境内に入ると、梅の蕾が膨らみ始めていた。

駿馬のように力ずよく飛び跳ねる、善い年としたいものだ。
今年もヨーガをひっさげての行脚がはじまる。

謹賀新年

新年、あけましておめでとうございます。
本年も宜しく御願い申し上げます。

一息息災

 

 

 

「ひといきは万事の大事。息災へと誘う要である。」

いのちの鼓動を象徴する「いき(息)」。これは、私たちすべての行動、思考、作法におおきく影響を与えるものです。「いき」にゆとりがあるだけで、こころはゆたかになります。そのひと息を常に大事と心得て、息が乱れないようにこころ掛けることで、日々の生活を軽快で爽快なものとしてくれるでしょう。

「息災」とは、もともとは仏教用語で、「息」には①いき(呼吸)という意味と②静まること、やすらぎ、寂静などの意味があります。「災」は厄いや災難に遭遇することです。息災という場合は、ほとけや人知を越えた大きな力によって、苦厄、災難から逃れ、安らぎに至るという意味があります。

日頃より「いき」を大切に調えることで、こころにゆとりが生まれます。それはすなわち、苦厄災難から距離をとるための要となるものです。

あたらしい年を迎え、「一息息災」の実践によって、みなさまがからだは健やかに、こころはゆたかで一年を過ごせますように祈念したいと思います。

平成二十六年 甲午正月元旦
番場裕之