1989年に大谷大学を卒業後の進路を考えていた際に、佐保田先生のご著書末の出版社広告に菅沼先生のお名前を見つけたのがきっかけである。その後、様々な著者名に「菅沼晃」の文字を見つけ、気になって、アポ無し、いきなり東洋大学の先生の研究室のドアをノックした。本来は出校日ではない土曜日にもかかわらず、運良くおられた。ラッキーだった。
その時は色々やりとりしたものの、大いに叱られて帰された。しかし、一緒におられた方々(今でも私の先輩として、大学でよくお会いするのだが)に助けられ、先生の名刺を頂くことができた。後日、厚かましくもお宅に電話させて頂き、正式に大学院を入試することとなった。それが全ての始まりなのである。
以来27年に渡り学術のみならず、公私ともにご指導いただくことができた偉大な恩師なのである。日々の授業の他、修士論文やその他論文作成、ドイツ留学から結婚式のご後見までもお願いしてしまった。当時、日本の大学でインド哲学科を独立して有するのは東洋大学のみだったが、そこに「その根本となるヨーガの授業がないのはいかん」と「ヨーガとその思想」という講座を新設して担当させて下された。それが大いに勉強となり、私のヨーガ理解の根本が形成された。その講座開講期間は約10年にわたり、『実践「ヨーガ・スートラ」入門』(春秋社)として結実した。その出版のご縁を頂けたのも恩師のお陰である。
とにかく、私が大人になってからのかなり多くの部分に恩師のお力添えがあるのだ。はじめての著書『1日5分「簡単ヨーガ」健康法』には前書きもお願いしてしまった。今思えば、ずいぶん無理なお願いばかりだったような気がしてならない。それをすべて受け入れてくださり、多大な果実までも残してくださった。
その他にも、当会で使う読誦テキスト、『瑜伽経三十頌』、『瑜伽経』、『梵語読誦般若心経』の作成にもご助言頂き、さらにはサンスクリット語のネイティヴ感覚習得のためにナレーシ・マントリ先生をご紹介いただいている。とにかく、私だけでなく、雄弘ヨーガのかなり多くの部分に恩師菅沼晃先生のお力添えがあるのである。それは亡くなられたこれからも、ますます力強く働きかけて下さると信じているし、そうだからこそ恩師なのである。
恩師は亡くなられても変わらず恩師であり続ける。残された我々の中に確実に生き続けている。そういう意味では、直接に言葉を交わせないという寂しさはあっても、大きなお守りを心の底に有しているようで、安心感もある。まさに「安心決定」である。
菅沼先生、ありがとうございました。
また、これからもよろしくお願いします。 合掌