様々な目的でヨーガをされている方が多いと思います。ヨーガは懐が深く、私たちの目的を叶えてくれる力強い味方です。日頃の健康維持、運動不足解消、疾病の回復や精神的充実など、多くのことについて私たちを包括的に支えてくれるものです。
ヨーガは、その成り立ちからいうと、私は精神修養というのが一番近いものと考えています。個別の事象に対症療法的に働きかけるものではなく、私たちの根底から総括的に底上げするというものです。その過程で上記に挙げたような事柄についても、必ず何らかの果報があることでしょう。
世俗に生きる私たちが、それに取り込まれることのないように内面の充実を目指す。精神的充実によって心のステージが上がり、泥沼に咲く蓮のように、清い花を咲かせる力強さを与えてくれます。その手段が呼吸法、体位法、瞑想法に代表されるヨーガの実践です。
ブログ「泥中の蓮」
ちょうど枝を張った大木にはその枝葉と同等以上の根があるといわれるように、見えない地中に広大な根が張っているのです。ちょうどそのように、世俗世界に生きる私たちに内面世界の存在を気付かせ、その充実によって世俗もまた充実するのです。
(写真はナーランダー遺跡の巨大菩提樹)
『カータカ・ウパニシャッド』という古い文献に「神は人の孔を外向きにあけたので、内側を見ようとはしない。愚かなものは、外的世俗的欲望を追求するのに対して、ただ賢者のみが眼を転じて内なる自我を観る。」と説いています。これがヨーガの根底にある思想です。
私たちは外界に住む世俗的なものであるからこそ、内面世界の充実を心掛けたいですね。