腰を動かして血行改善〜コロナウイルス対策

新型コロナウイルスが猛威をふるっています。全国の雄弘ヨーガ一門の皆さん、
如何お過ごしでしょうか。
身辺落ち着かず、外出もままならず、不安な毎日だと思います。

残念ながら、教室も安全を考慮してお休みにしています。
皆さんと一緒にヨーガできるのが、とてもありがたいことだと実感しています。

呼吸の波に乗りながら、ダイナミックなヨーガができるのを楽しみにしてます。

ところで、外出を控えると運動量が極端に低下します。
身体も硬くなり、筋力も低下しがち。血行も悪くなります。
Simplified Surya Namaskara Asana (2) Simplified Surya Namaskara Asana (5)
不慣れな方には、ひとりでは実践しにくいかも知れませんが、こういう時は、動かすことが大切です。教室のように上手にできなくても、まったく問題ありません。

四肢五体の繋ぎ目である関節をしっかりと動かすようにしましょう。
特に、前屈系の動きは硬くなりがちな腰や膝裏を伸ばすこともできます。

腰は身体の中心で要です。腰を動かすことによって、上半身、下半身も連動して動きます。
血行が滞らないようにするために、積極的に動かす様にしましょう。

また皆さんとヨーガができるのを楽しみにしてます。

国土安全、天下泰平、人心安寧を祈念して 

近年は天災(人災)がかなり多い感じがする。これは多くの人が感じているだろう。

東日本大震災は天災だとしても、原発関連は明らかに人災だ。「想定外」は通用しない。

そして、何年も経つといたのに、未だに解決しない。

また、近年の大雨、洪水、台風も天災の鎧を着た明らかなる人災だ。

そして、今般の新型肺炎コロナウイルス。世界中で多くの人が苦しんでいる。
我が雄弘ヨーガの教室でも、安全のために自粛している。

また、マスクの買い占め転売で困っている人が多くいる。足るを知る、貪りの欲を否定する不貪など、ヨーガ、仏教でも古来より戒められてきた事だ。

そして、この戒めは、いにしえの人が末法の世と感じたように、21世紀になっても未だに成就しない。

災は忘れた頃にやってくる。

やはり、日頃の心掛け、行動からヨーガ的であるべきだ。
この様なひとつひとつ、ひとりひとりの行動が社会の安定、人心の安寧に欠かせない事なのではないだろうか。

今年も3月11日がやってくる。

~石巻・女川・南三陸 (84)

国土安全、天下泰平、人心安寧を祈念して真言を唱えよう。

गते गते पारगते पारसंगते बोधि स्वाहा ।।
ガテー! ガテー! パーラ・ガテー! パーラ・サンガテー!
ボーディ! スヴァーハー!
掲帝 掲帝 波羅掲帝 波羅僧掲帝 菩提僧莎訶

 

※写真は、2012年3月に石巻市立大川小学校を訪れた際に見かけた聖観音菩薩の台座。
校庭にがれきのように転がっていた。
「幸せへの祈りをこめて」の文字が妙に悲しかったのを覚えている。

聖紐 Upavītaの令和版に取りかかります

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聖紐 Upavītaの令和バージョンの依頼のために、30年ほど前からお世話になっている京都の某法衣店を訪れました。各本山御用達のお札が並びます。
歴代バージョンを眺めつつ、令和バージョンを検討します。
3枚の画像は歴代の聖紐。左の平成5年版(1993)以来、さまざまなバージョンが世に出ました。
右のは私が用いる儀式専用のもの。
令和版の登場が楽しみです。

※聖紐 Upavīta は、インドの伝統の中で、学生期に入る際に師匠から授かる聖なる紐です。その思想的伝統を受け継いで、ヨーガに携わることになった願い、誓願を込めて常に身に着けて実践するようにおすすめしています。

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新年、あけましておめでとうございます。


あけましておめでとうございます。
本年も雄弘ヨーガを宜しく御願い致します。

「道」を示すものにとって、師匠は特に重要な意味を持っています。
師匠が何を見て考え、何を示そうとされていたかということが、その「道」そのものといっても過言ではありません。

雄弘ヨーガでは、先代雄弘師、その師匠・佐保田鶴治祖師という偉大な師匠を頂いています。
師匠方からは亡き後も多くの示唆が、一門の実修者にあまねく降りそそがれていることでしょう。

今年皆様に提示した「淨菩提心」は、佐保田鶴治祖師から下されたお言葉です。

菩提心は、仏教におけるさとりを求める心を示しています。本来は、自分がさとりを求めて仏の智慧を獲得しようとする心のことをいいます。
しかし、自分のみが苦悩からか解放されて完結するものではありません。それは、自分以外のより多くの人々の苦悩をも解放しようとする心でもあるわけです。
そういう意味では、菩提心は、自他共に多くの人々に真の喜びをもたらす心といえるでしょう。

特にヨーガの場合は、自身に働きかける実践が非常に大きな意味を持ちます。その結果、往々にして、自身の安穏を優先させるようになることがあります。
そうした自己中心的な心のはたらきを見極めて、ヨーガによって菩提心を育むようにあってほしいという、師匠からの教えの言葉なのです。

菩提心は、清らかな功徳を養い育てるところから、ゆたかで良質な田地のようだと喩えられます。ヨーガでその田地をゆたかに育ててほしいという願いが込められたものです。

そして、さらに「淨菩提心」と記せば、さらに奥行きのある意味となってきます。そのあたりは、追って、研究会などでお伝えしていくこととしたいと思います。

雄弘ヨーガを実践して、菩提心を育んで師匠の願いに近づける一年となるよう、ともに歩々直入して参りたいと思います。

どうか一年間、宜しく御願いします。  合掌

令和二年庚子元旦

仰臥で脚力を鍛える〜Youtube動画

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かかとを突き出すように空中で屈伸することで膝に負担をかけることなく大腿筋を鍛えることができます〜雄弘ヨーガテクニック〜「ひと呼吸ひと動作」すべてのアクションになめらかな呼吸が伴うのが雄弘ヨーガテクニックの特徴です。
足を床に着けないようにすることがポイントです。 撮影2019/12/11
https://youtu.be/jxv79oqj1-o

立命館大学交友会報で雄弘ヨーガが紹介されました

立命館大学交友会報「りつめい」(No.278, 2019年10月号)で雄弘ヨーガが紹介されました。

紹介してくださったのは、当会公認講師の小野守通さん。
ヨーガがどれだけ大切な存在で、どれほどの恩恵をもたらしたかを書いてれれます。

皆さんも是非読んでみてください。

番場一雄(初代瑜祗雄弘)師の指導動画 1991年1月19日

雄弘ヨーガの創始者、番場一雄(初代瑜祗雄弘)師の指導動画です。独特の説法に惹きつけられます。
これは東京タワーの麓、芝の増上寺での研修会風景です。1991年1月19日(土)、28年前の映像です。
7月27日に開催予定の雄弘ヨーガの実践セミナー(京都・聖護院)では、もっとしっかりとお見せできると思います。

雄弘ヨーガの実践セミナーはこちら

Youtube 動画はこちらをクリック

「弔う」ということ

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「弔う」、今回は人の死についての捉え方についての話です。

皆さんの近親者やお世話になった方、ご友人の方などが亡くなられることもあるかと思います。

その際に「弔う」という態度、姿勢があります。実は最近、お世話になった大学の先生やヨーガの同志が亡くなられることがありました。

亡くなられると、その方と交わした言葉や表情、影響を受けたことなどを様々に思い出すことでしょう。

「弔う」とは、「故人の死を悲しみ痛むこと」ではありますが、また同時に思い続けることでもあります。

事前に訃報を聞き知っていた方は、お別れに向かわれるでしょうし、聞いていても都合が合わなかった場合や、うまく、伝達されない場合もあるかもしれません。

亡くなるとは、非常に寂しく、残念なことです。それを乗り越えて残された我々は生きていくことになります。

たとえ亡くなられても、今までと同様に、側におられるように思い続けることが、追善であり供養であり、弔いに他ならないでしょう。

故人の笑顔や姿や姿勢を様々に心に留めておられると思います。折につけて、思い出し、話題に上げ続けることで、亡くなられた方は皆さまとともに生き続けられることでしょう。

悲しみに打ちひしがれることもあるでしょう。その場合は、亡くなられた方の笑顔、態度、姿勢を思い出して乗り越えていきましょう。

亡くなられた方が生き続けるよう、
残された我々は精進努力することが大切だと最近強く思います。

大阪造幣局 桜の通り抜け〜内的な花見

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今、私は大阪市営地下鉄大阪メトロ谷町線 天満橋駅にいる。

今時分、毎年ここは大混雑になる。大阪造幣局の通り抜け、桜の花見客でごった返すからだ。昼前から夕方遅くまで、人の波に飲み込まれることになる。

今日は、ヨーガの指導に向かう途中だ。花見では、目に見える花を愛で、香りを感じ、春を堪能する。短い寿命の桜の花に、多くの思いを重ねるのだろう。

対してヨーガは、自らの心の花を観察し、からだと対話し、呼吸を味合う、甚深微妙な内的行為だ。内的な花見ともいえるだろうか。

私も花を愛でる花見をすることもあるが、桜を愛でる心と同じかそれ以上のレベルで内的な花見を好んで行う。

まだヨーガにご縁のない方にも、花見と同様かそれ以上に、内的な花見をすることがが如何に楽しく、有益で大切な行為であるかを知ってほしい。

桜の花に向かう人波を見て、そう感じた。