床の間

床の間
みなさんのお宅には床の間はありますか?
最近は住環境の変化からか、床の間がない場合も多いようです。居住空間の効率を最優先に考えると、床の間ではなく、押入れやクローゼットにした方が便利なのかもしれません。

私が生まれ育った京都の家には、床の間がありました。その部屋は六畳間でしたが、幼かったからか、非常に広い部屋だったという記憶があります。京間だったからかもしれません。その床の間は、幅は一間、奥行きは三尺、
ちょうど一畳の広さがある板間で、掛け軸と茶器が置いてありました。
今思うと、この床の間を見て育ったことも非常に有益だったと思います。これを見ずに幼少期を過ごしたら、ずいぶん違った育ち方をして、また違った自分になっていたかも知れないと思います。

床の間は神聖なところで、立ち入ることを禁止されていて、無断で立ち入った場合には、叱られたものです。みなさんのお宅の和室にもしなかった場合をイメージしてみてください。ある方は、「気の抜けた座敷」と表現され、他の方は、「締まりがない」、「自分より上のものがない感じ」とおっしゃてました。みなさんは如何ですか?
床の間があるだけで、空間にゆとりがうまれ、宇宙的な広がりが出てきます。空間が神聖になり、効率優先の部屋から特別な部屋に変わります。そんな感じはしませんか?

日本には様々な「間」があります。床の間は生活における「間」で、その他に芸術における「間」、武道や礼法における「間」など、私たちのいろいろなところに「間」が生きています。単純に時間的だとか空間的だとかで割り切れない「間」がとても大切にされていて、「間」がないと、「間抜け」になり、何かしらの不足を感じるものです。

このような「間」は、日本人固有の、独特な感性だそうです。例えば、お寺の鐘の音と次の音の間(あいだ)にある「間」は、単純に間(あいだ)ではなく、その「間」に様々なものを含んでいて、無限の広がりを感じることができます。

このように、私たちが呼吸をする際にも、入息と出息の間(あいだ)に時間的とも空間的とも単純に割り切れない「間」があることで、心にゆとりがうまれ、宇宙的な広がりを体感できます。呼吸が神聖なものとなり、心は深化し、瞑想に耐える気に満ちた特別な呼吸に変わります。

「間」とは、そういう不思議なものなのです。呼吸だけでなく、様々な生活の一部に「間」を見出せるようにしてみませんか。きっと素晴らしい時空が広がってゆくことでしょう。