化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)を訪れて

先日、京都滞在中に化野念仏寺に行ってきました。
化野念仏寺 (32-)
京都市北西部の嵯峨野一帯は、私の大好きなところ。
美しい大自然に囲まれ、歴史情緒あふれる都会の喧騒を離れた静かな地域です。
大覚寺・大沢池、広沢池あたりは、年に何度も足を運んでいます。
そのさらに奥まったところに、化野念仏寺はあります。
化野念仏寺 (12-)
この地は、古来より葬送の地で、初めは風葬であったのが、後世になって土葬となり人々が石仏を奉納して供養されたそうで、京都盆地がはるか彼方に見える奥地です。

そういう歴史からか、俗世間とは別世界の鎮まりを感じます。
時間を顧みずに、鶯などの小鳥のさえずりや蝉の鳴き声、竹林のさざめきを背景に心静かに瞑想するのには、最高の環境です。
化野念仏寺 (6-)
御本尊の阿弥陀如来像(伝湛慶作)も素晴らしいですが、石の阿弥陀三尊や8000体とも言われる石仏・石塔には、古来より続く人々の信仰の深さを感じます。
インド・サンチーのものと同型のストゥーパ、鳥居型のトーラナもあり、これらを見た時には「ハッ!」とインドを感じました。
化野念仏寺 (9-)

感性を磨くのに素晴らしいところですが、眼を釘ずけにされたのが、本堂に貼ってあった次の教え書き。

「俗世間つもりちがい十ヶ条」

高いつもりで 低いのは 教養
低いつもりで 高いのが 気位
深いつもりで 浅いのは 知識
浅いつもりで 深いのが 欲
厚いつもりで 薄いのは 人情
薄いつもりで 厚いのが 面の皮
強いつもりで 弱いのは 根性化野念仏寺 (18-)
弱いつもりで 強いのが 我
多いつもりで 少ないのは 分別
少ないつもりで 多いのが 無駄

自分の姿が阿弥陀さんに見透かされたような、不思議な感じがしました。

そして、もう一句。
「子供しかるな来た道 年寄り笑うな行く道」
時間を作ってもう一度ゆっくりと訪れたい、そういう思いになりました。