本日5月23日(土)は、大阪支部が主催する雄弘ヨーガの実践セミナーが京都・嵐山の時雨殿で開催されました。川の流れに接しながらのヨーガでは、呼吸に大きな「ゆらぎ」を感じることができました。
普段無意識にしがちなアーサナを見つめ直して、ひと動作ごとにその意味を理解できるように行い、日々の実践が深められるようにと計画しました。
最後には料亭木乃婦さんの仕出しをいただいて、楽しい1日となりました。
遠方より参加頂き、ありがとうございました。
2015年3月24日(火)~4月1日(水)までの9日間、「インド仏教聖地巡拝と聖地ハリドワール、リシケシの旅」に行って参りました。昨日全員元気に帰国できたことをありがたく思います。
今回も長年御世話いただいているカイラスの落合さんにお願いし、現地でも前回と同じカンナさんに来ていただき、懐かしい面々とともに楽しく多くのことを学び、体験することができ、数多くの成果、功徳をもたらすことができました。
今回の目的は、震災復興祈願法要と先代13回忌の気持ちを込めていたことはありますが、ヨーガや仏教の生まれたインドを肌で感じることでもあります。
ワーラーナシー(ベナレス)では、リクシャー(人力車)で街中を抜けてマンマンディル・ガートを訪れました。最後は、ハリドワールとリシケーシュの火の儀式・アルティプージャーに参加しました。
毎回、インド訪問時には目的を掲げて行いますが、そのひとつにインドの知人に会うことです。今回は、前のインド総領事を務められたD.V.モーハン氏にお会いすることと、彼の財団が運営するアシュラムに宿泊することでした。2003年に先代雄弘師の逝去を知らせる手紙を送ったところ、弔いの言葉と共にハリドワールのアシュラムに是非来て下さいというお誘いを頂いていたからです。
また、参加者同士の交流ができたことは、たいへん満足しています。あまり接点のない他地区の雄弘ヨーガ同志のみなさんが、日々つながりを深めているのを見ていて、こころから、微笑ましく思いました。
そして、インドの空気感を感じてのヨーガの実践は素晴らしいものでした。季節外れの雷雨に遭い長時間の実践はかないませんでしたが、クシナガラの荼毘塚で行ったヨーガは印象的なものとなりました。ルンビニーのホテルでのヨーガでは孔雀が乱入し、ハリドワールのアシュラムの礼拝堂でのヨーガは、大理石の空間にマントラが響き渡りました。いずれも貴重な体験となりました。
14年前に国際交流をした、ムンバイのアンビカー道場の方から、最近メーメールが増えていて、また交流できるのを楽しみにしています。
今回の旅は、長年ご縁あるカイラスの落合さんの尽力が非常に大きいものです。心憎い気くばりが、みなさんを楽しませてくれたと思います。こころより感謝しています。
また、このメンバー、さらには新たなメンバーを加えて、集える日を楽しみにしたいと思います。
どうもありがとうございました。
追伸
今回の動画は、YouTubeにアップしてあります。
yogiyuko で検索していただくか、Facebookの私のページにつなげれば、見られるようになっていますので、是非ご覧下さい。
YouTube→
1.シュラーヴァスティー祇園精舎 『梵語読誦般若心経』奉納① https://youtu.be/mBKwuzdzF74
2.シュラーヴァスティー祇園精舎 『梵語読誦般若心経』奉納② https://youtu.be/0af3Mvf7uoc
3.ゴーラクナート・マンディル寺院『ヨーガ・スートラ』奉納読誦
4.クシナガラ荼毘塚でヨーガ奉納
5.ワーラーナシー(ベナレス)で船に乗る
6.リシケーシュ フルティ・プージャー火の儀式
7.ハリドワールMohyal Ashram 礼拝堂 マントラ読誦
8.クンジャープリー寺院参拝とヒマラヤの日の出
去る11月29日、東洋大学国際哲学研究センター主催のシンポジウム「精神性に与える瞑想の影響」の日が開催されました。雄弘ヨーガ関係者の方もその中に1割ほど来ていただき、遠くは高知からも聴講に来られました。力強い応援の中で発表させていただきました。以下に、私の発表内容の概略を記しておきます。
◆ヨーガの瞑想
インドの瞑想について、特にヨーガ派の瞑想の手段について、述べさせて頂きます。
古典文献に記されたヨーガを現代社会に反映するのが、実践者としての立場なので、旧来の伝統的解釈に縛られないで実践的解釈をしたいと思います。
そもそも、瞑想の概念は多様であり、背景となる思想によって様々な瞑想が存在していたし、現在もそのようになっています。
実際、『ヨーガ・スートラ』にもいくつかの異なった体系の瞑想が入り込んでいます。
瞑想すなわちヨーガが、ウパニシャッドの中で説かれるようになる紀元前から、『ヨーガ・スートラ』の完成とされる五世紀ころまで、約千年ほどの時間差があり、その間に様々な瞑想観から影響を受けたものと考えられています。
『ヨーガ・スートラ』には、おもに三種類ほどの体系が説かれています。
『ヨーガ・バーシャ』という註釈が最高の瞑想と伝える無想三昧とその前段階とされる有想三昧、仏教の影響を強く受けて取り込まれたとされる有種子三昧・無種子三昧、そして、ウパニシャッド由来の特徴を強く残した八支、ヨーガ・アンガで示される、凝念・静慮・三昧の体系です。
その短さ故に、『ヨーガ・スートラ』単体での理解が困難で、註釈を活用するという手法をとるのですが、その際、註釈の思想に影響されるということからは逃れられないところがあり、瞑想も様々に解釈されていて絶対的な見解がないことから、その内容については、今ここでは触れないでおきます。
◆瞑想の手段
『ヨーガ・スートラ』には、瞑想に至る具体的手段もいくつか示されていて、自在神祈念、読誦、行事ヨーガについては、三昧乃至は無想三昧の手段とはっきりと記されています。
その他、瞑想の手段と明記はされないものの明らかにそのように理解できるものが、坐法、調気法などです。
坐法は今日的な体位法ではなく座禅に近いものです。坐法の完成には座が堅固に定まるだけでなく、サマーパッティという瞑想の手法が不可欠であるとされています。『ヨーガ・スートラ』の調気法の目的は、日常の心情を反映した乱れた粗い呼吸をなくすことです。乱れた粗い呼吸は三昧状態の心には起こらないものなので、呼吸が丁寧に調えられれば、三昧に近づくことがわかります。
これら三昧の手段のうち、読誦、坐法、調気法は身体感覚としての内部的な刺激をともないます。読誦の場合は声を発することによる振動やバイブレーションと呼吸を伴います。坐法は座を組んだり姿勢を正すことによる刺激があり、ハタ・ヨーガの体位法のようなダイナミックな実践になると、その刺激も増大します。調気法は呼吸の実践なので、息の流れる感覚や腹部・胸部の動きによる内部刺激を伴うのです。
この刺激がしっかりと把握できるようになると、気が多く散乱していた心がその感覚に自ずと縛り付けられて、否応なくその感覚のみを捉えて、ひとつの対象に心が固定された集中状態になるのです。
調気法、特に、入息も出息も鼻で行うヨーガ式の鼻孔呼吸の呼吸の場合は、その効果も特別なものとなります。呼吸を酸素と二酸化炭素のガス交換と単純なものと理解した場合は、出息については鼻呼吸も口呼吸も大差はありません。しかし精神的影響、気のエネルギー、プラーナなどを合わせて理解すると、鼻孔呼吸は重要な意味を持ってきます。
◆鼻孔呼吸の意味
鼻腔の中には三段の仕切りがあって、それぞれ下から下鼻甲介、中鼻甲介、上鼻甲介といいます。息が日常の心情を反映した乱れた粗く速い呼吸であれば、息は下鼻甲介を通ります。しかし、繊細に調えられた長い息の場合は、上鼻甲介を通ります。上鼻甲介には嗅覚神経が密集していて、そのすぐ上が脳になります。
このように繊細な出息をすることで、嗅覚神経を刺激することとなります。嗅覚神経を刺激すると副交感神経が活性され、興奮気味の心も沈静し、瞑想に必要な準備を調えることができます。
また、上鼻甲介や嗅覚神経を刺激した際の独特の感覚は、まさに身体感覚としての内部的刺激そのもので、散乱していた心であっても、否応なくその感覚のみを捉えて、ひとつの対象に心が固定された集中状態、つまり凝念となるのです。
凝念を深めて、同じ感覚から心がぶれなく集中できると、静慮、そして三昧へと瞑想の段階を登ることができるのです。古代のヨーガ行者たちは、この感覚を気のエネルギー、つまり、プラーナだと捉えたものと考えられます。
瞑想自体はとても大きく深い実践ですが、入口はこうした内部刺激への集中から始まります。まずは、ゆっくりとした腹式呼吸によって、長い出息を心掛けて、上鼻甲介と嗅覚神経の刺激に集中することで、雑念がなくなり、心がひとつの対象に定まった心一境性に至ることができます。
5分位の実践から始めて、心のもやもやをスッキリしてみましょう。
10月5日、6日の2日間、第35回光麗祭~雄弘ヨーガの実践セミナー~が京都・聖護院で開催されました。今回は呼吸と「間」の大切さを主たるテーマとし、北は秋田、新潟〜南は高知、徳島に加え、海外イタリアからの参加もあり、幅広い方々で集うことができました。
ひとつの呼吸に内面的方向性をもたらす呼吸と動作の「間」。「間」があることで、心は急速に内向的方向性をもちはじめ、瞑想の準備が調います。アーサナ(体位法)毎に「間」をとることで、ひと
つひとつの体位が深化してゆくことを実感しました。
一定時間(60〜90分)のアーサナ後の「間」では、緑豊かな庭園を眺めつつ、施設内の足湯で体を温めて、交流も深まったことと思います。
今回は、聖護院の秘仏を公開していただき、多くを学ぶことができましたし、2日目早朝に行った金戒光明寺〜真如堂散策では、素晴らしい気をいっぱいに頂くことができました。
来年の再会と育んだ仲間意識、そしてヨーガを深める約束をして、お別れをしました。
聖護院様をはじめ、支えていただいた方々には深く御礼申し上げます。