『瑜伽師地論』の呼吸観①

呼吸はゆたかに生きるための大切な要素で、ヨーガでも仏教でも呼吸を大切をしてきました。
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呼吸はいのちそのものでもあり、きちっと調えれば心はゆたかになり、瞑想の対象でもあるのです。中国では健康の秘訣とされ、いずれにしても私たちの”Q.O.L”(生活の質)を高度に保つための要なのです。

呼吸、すなわち息は、入息と出息に分かれますが、実はもっと繊細で、「入」にも「入れる」「入る」があり、「出」にも「出す」「出る」という別の側面があります。ですから当然「止」にもに「止める」「止まる」があります。この二面性は呼吸の違う側面で、呼吸の観察や丁寧な呼吸法には欠かせないものです。

またそれだけではなく、呼吸には私が兼ねてから述べてきた「間」というものがあります。呼吸は波なので直線的ではなく曲線的なものです。必然的に「入」と「出」の境目が大切になります。「間」の抜けた、あるいは「間」を大切にしていない呼吸はとても窮屈なものとなって、精神的にも悪影響を及ぼします。

そのことに注目したのが、『瑜伽師地論』(以下『瑜伽論』)という仏教論書に記された「中間入息」(antara-āśvāsa)「中間出息」(antara-praśvāsa)というものです。『瑜伽師地論』は”Yogacācārabhūmi-śāstra“といい、弥勒菩薩の伝承とも言われます。

『瑜伽論』は、かの玄奘三蔵をそのサンスクリット原典を求めるために国禁を犯してまでもインドに向かわせた論書だと言います。その思想は中国で法相宗の唯識思想としてまとめられ、その流れは奈良の興福寺や薬師寺にも流れています。興福寺も薬師寺も法相宗のお寺で、いわば仏教ヨーガの本山だといえます。

次回は、呼吸観察瞑想(アーナーバーナサティānāpānasati)とヨーガの調気法(プララーナーヤーマ prāṇāyāma)について考えてみましょう。

※画像は『大正新脩大藏經』における『瑜伽師地論』の冒頭部。
論者「彌勒菩薩説」と訳者「三藏法師玄奘奉 詔譯」がみえる。