先日のブログ「祖先の華」をもう少し。
3年前から育てている古代蓮も、1年目は立ち葉自体が非常に弱々しかった。2年目の春先に古い根の掃除をしないといけないということを知り早速やってみたが、1年目よりは元気になったものの芽が出てくる気配はなかった。
近隣の蓮池を管理している方に相談して、ひと鉢に入れる蓮根が多すぎることを教わった。今年、根を掃除をする際には、ひと鉢に蓮根1本とした。
しかしながら、なかなか反応がなかった。あまりにもつぼみが上がらないので、「立ち葉を楽しんでいる!」と勝手に言い聞かせて、待っていた。今年の夏は正念場、3年目の夏だ。その蓮につぼみが上がりはじめた。そして、今朝、開花である。
古代蓮にこだわるには、それなりの理由があったのだ。懐古主義ではないが、歴史のロマンを感じる、というのもひとつの理由ではあるが、数ある古代蓮のうち、私のこだわりは埼玉・行田の古代蓮である。
埼玉県北部の行田市、映画『のぼうの城』の地域である。このあたりは私の太古の祖先の住まった地区であり、忍城はその舞台である。当時の分限帳に先祖の名前が見えたりすると、自分の根源に触れるようで何とも言えない安堵感がある。自分がどこから来たのかという出自を知ることは、今後の自分の針路を知る上でもとても大事なことだと思う。
元禄10年(1697年)のものが最も古い墓碑だが、その分限帳は戦国時代真っ直中の天正10年(1582年)のものだ。血脈の伝承や『地誌』から察すると6世紀頃にはこの地区に住まっていたらしい。今でも祖先の苗字と同じ地名が残っている。
その地域の造成の際に古代の地層から自然発芽したのが、行田の古代蓮である。おおよそ1400年~3000年前の原始的な形態を持つ蓮であるという。つまり、当時の祖先たちも見ていた蓮を時を超えて見ることができるのである。この3年は古代の先祖へ出逢う旅路のようであったように思う。会ったこともない祖先に思いを巡らせて辿るのは、まさしく供養に他ならない。古代蓮を育てながら祖先と出会うのを待ち続けていたともいえる。
その他にも理由はある。ヨーガに携わり、仏教や日本人の心情を理解しようとする私にとっては、とても神聖な華だ。チャクラも蓮であらわされるし、坐も蓮が絡む。極楽浄土には蓮池があり、香しく香っているという。そして、この淡いなんとも言えない独特の風合い、色味がその神聖さを倍増させているような感じがする。
『ウパニシャッド』では眼球を反転させて内面を見よという。現前の世界だけに目が惹かれる昨今、五感を超越して内面を見ることは極めて大切なことだ。現実的、実利的な傾向が強いなかで、まったく別の方向性を持って思考することは、極めて大切だと思う。
そして、これがヨーガの本来のありようなのだから、、、。



