夕陽がすきだ。なぜか朝陽よりもこころの琴線に触れるものがある。何故なんだろうかと夕陽を見ながら考えてみた。
京都に滞在中は、比叡山の玄関前から京都盆地の西側、高尾山や愛宕山の山並みに入る夕陽は最高に美しい。
埼玉に滞在中は、身近に山こそない代わりに、地平線の彼方に落ちゆくように見える夕陽は、また違った美しさがある。
夕陽に何かを感じるのは、育った環境でも今生活する環境でも、朝陽よりも美しい夕陽に巡り会うチャンスが多かったからかも知れない。
京都市内では、西側に陽が落ちた後にあらわれる独特の陰影があり、西側にはその陰影が残るものの、西日があたる東側の比叡山や如意ヶ岳は日没後も映えて美しい。
京都盆地に陽が降りそそぐ「陽」が西側から徐々に「陰」に変わりつつあるとき、西の空はあかね色のようなえもいわれない色に染まってゆく。その空の色と夕陽を見て育ってきたからこそ、夕陽になにかを感じるのであろう。
はっきりとは思い出せない記憶の奥底の、遠いあの時にも見たに違いないこの景色。きっとその記憶に触れるからかも知れない。
同時にこういう経験が、多分に自分のものの見方を形作り、私のヨーガ観にも大きな影響を与えている、そう思わずにはいられない。